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読んだらカドの装いが気になって仕方ない"ディテールで語る建築"

この本は内田祥哉氏が様々な建物のディテールが掲載されているマニアック誌「ディテール」に、10年間建築構法、寸法のおさえ方や設備に至るまでそのディテールについての連載をまとめたものである。内田氏も旧電電公社の建築部時代にNTTの主要建物の設計に携わった。東大の内田研究室は原広司氏、隈研吾氏、大江匡氏などの現代の建築業界を担う建築家を輩出している。

本の中に出てくる「カドの装い」の章では角地での配棟計画、建物のコーナーのおさまりについて語られている。銀座の交差点に面して人々が集える空間を設けた旧ソニービル、袖壁を勝たせておさめる、谷口吉郎氏の国立近代美術館などが事例として挙げられている。

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国立近代美術館は1968年に竣工したが、今もなお模型のような美しさ。現代では、カーテンウォールの建物も多くさほどカドに頭を悩ませる必要はない。技術の発展により多くのコーナー部材も開発されている。柔らかい外装材が増えたことにより、そもそもカドが存在しない建築も多い。この時代には限られた施工手段でいかにカドをきれいにおさめるか、建築家たちは熟考したであろう。私が思う、語られるべきディテールは、

1.建物のコンセプトとディテールに一貫性がある

ディテールも構成要素を少なくミニマルに見せるのか、面を落として陰影を作り重厚な印象を与えたいのか、建物の用途、コンセプトや使われ方によって異なる。それらが一体的に見えて、ディテールそのものの存在感が感じられないくらい建物に馴染んでいるのが理想だ。

2.施工を考慮した設計で、破綻してない

何度か目にしたことがある。有機的な動きを体現したカッコいい建築。よく見るとディテールが破綻している。壁と天井の取り合いでヒビが入っていたり、異素材の取り合う見切りが悪目立ちしていたり。図面ではカッコよかったけどきれいに作れなかったパターン。設計者は常に施工者に寄り添い高め合うべきである。

3.最後は設計者による執念深さが現れる

ディテールはおざなりにしても建物は出来上がる。時間切れ、予算が足りず志半ばで中途半端に終わってしまったディテールも多くある。私自身は設計はしないが、ディテールに苦戦する設計者には共感する。それでも丁寧に執念深く作られるディテールに息が吹き込まれる気がする。

私が思う現代のディテールの達人は谷口吉生氏である。足が速い、背が高い、みたいな感じでディテールがすごい、のも吉郎お父さんの遺伝子なのか。



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