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プロレスの楽しみ方を知らない馬鹿で良いと思った話


はじめに

先日、社会人プロレスを観戦する機会があった。
(2024.2.10 AZW新木場1stRING大会)


2021.2.14の団体旗揚げから3周年記念となった今大会のメインイベントは、HAPPY STATESというヒールユニットのリーダー・美乳輪光(びにゅうりん ひかる)が、王者・クスリ松村に対して介入多数の上、新メンバーの加勢もあり王座が移動するというバッドエンドに。


試合後、王者となった美乳輪はマイクでこのような事を語った。

美乳輪光


普段は投げ銭制が多い学生プロレスや社会人プロレスにおける環境と、ヒール的なマイクを絡めながら批判と皮肉を織り交ぜた内容だったと思うのだけど、私が大会後にハッシュタグを追っていたら、このマイクに対して怒ったという観客の投稿をSNSの海で見つけた。

その数日後、怒った観客の存在に言及する美乳輪の投稿を見た時に、私はどうしようもない違和感を覚えてしまった。


「本当に刺さって顔真っ赤になる人がいるとは思いませんでした。」

「プロレスの楽しみ方を知らない馬鹿でも理解できるようなマイクを心がけます。本当にごめんなさいでした。」


前置きになるが、リング上で美乳輪が言ったマイクの内容に関して「怒る人はいるよな」とは思ったけど、そこに関しては個人的に怒りとかはないし、寧ろ、誰も表で言わない事をハッキリ言い切ってた所がスゴいと、私は純粋に思った。

ただ、大会が終わって数日後に、怒って帰った客に対しても当人が言及した所で、私は異様なモヤモヤを感じてしまった。


あのマイクの内容に対して、怒って帰った人のアカウントを私は偶然目にする機会があったけれど、その人のSNSアカウントのプロフィール欄に書かれていた団体名は、紛れもなくプロの団体。
少なくともアカウントの直近のツイートからは、普段学生プロレスとか社会人プロレスを観に行ってるような雰囲気は感じられなかった。

そして、彼のプロフ欄に上がっていた団体は、無料のイベントプロレスを地元で開催する事はあっても、道場で開催する道場マッチも含め、有料の通常興行の方が確実に多い。
つまり、彼が「プロを観に行く金がない」と批判していた対象から、確実に外れる人まで怒っていた訳だ。


それなのに、「本当のこと言っちゃったね!」みたいな感じで言いくるめてしまう彼の投稿に、私はショックを受けた。
別に、私の嫌いな選手だからとかじゃない。【プロレスの楽しみ方】というデカい主語まで持ち出さないと、自信すら保てない姿に対して。

言い方は色々あれど、怒って帰らせるくらいの熱いマイクで人の心を動かしたのだから、美乳輪は自信持って堂々としていれば良いのに。
ヒールは全員に好かれんでもいいじゃん。
客と選手の本気がぶつかった結果なんだから、SNSで余計な事言わんでも誇れることだと私は思うよ。

でも、それはマイクの主と帰った観客が相反したのであって、外野の私が言うのは野暮なのかもしれないけど。


でも、この事以上に、私自身どうしても引っ掛かってしまうフレーズがあった。
それが今回の個人的本題。


美乳輪の指している、【プロレスの楽しみ方】って何?

そして、【プロレスの楽しみ方を知ってる(or知らない)】って、一体どういう基準なの?

そもそも、楽しみ方って決まってるの?


「プロレスの楽しみ方」って何だろう?

「プロレスの楽しみ方を知らない馬鹿でも理解できるようなマイクを心がけます。本当にごめんなさいでした。」


そもそも、今回マイクの内容に怒って帰った人は、果たして美乳輪の指すような【プロレスの楽しみ方を知らない馬鹿】だったんだろうか?


この日は投げ銭制で、運営側もアンケートも付けて感想を募る大会だった。
嫌な言い方にはなるけれど、その時に「つまらなかった」とアンケートに書いてぶつけることも、封筒に1円だけ入れて会場を去る事も十分出来たと思う。
もしかしたら、怒って帰った人はそういうのも通り越すくらい、怒りが突き抜けたんだろうなって私は想像してる。


でも、それって私は凄いことだと思う。
何故ならば、「怒ってその興行から途中退出する」のも中々勇気のいる事だと私は思っているから。

今、そこまでの怒りを抱ける興行って、今はプロでそうそう無いんじゃないかと思うくらい。

何だかんだ言って、バッドエンドでも会場に最後まで残ったりする私だから、余計にそう思うのだ…。



私自身、今でも忘れられない出来事がある。
2015年7月にプロレスリング・ノアで行われた『鈴木みのるvs高山善廣』のGHCヘビー級王座戦だ。


試合は鈴木みのる率いる『鈴木軍』の介入もあり、鈴木が王座防衛に成功したのだが、試合後には客席からリング上に向かってペットボトルが投げられるなど、騒然とする事態が起きた。
私が生でそんな光景に出くわしたのは、後にも先にもこの時だけだ。


リング上に怒号、罵声、ペットボトルが浴びせられる様子を見て、当時の私は「凄く怖いな」って思ったし、「そういう雰囲気に金出して行きたくはないかな」と思って、以来1年以上ノアの現地から離れた…。
(ここ5年、私が一番観に行った団体はノアなので、まさかこんなことになるとは思わなかったけれど(笑)。)




その後、私は歳と歴を重ねるうちに、いつしかバッドエンドと呼ばれるような結果にも自然と耐性が付いて、次第に楽しめるようになった。

でも、間違いなく言える事が一つだけある。
それは、バッドエンドが嫌だという気持ちを抱いているプロレスファンになりたての時の方が、今よりも自分の中でプロレスを本気で楽しめていたという実感だ。
当時の私は達観も俯瞰もなく、ありのままの光景を楽しむスタンスだけがあった。


帰った当事者のファン歴を私は知らないけれど、美乳輪のマイクで怒って出ていった人の方が、確実に私よりもプロレスを楽しんでいるんじゃないかなって。

そして、私はその人のことが心底羨ましい。
何故ならば、この姿勢や態度は、金を積んだりファン歴を重ねたりして手に入るようなものでは無いと思っているから。


ヒールレスラーの無法ファイトに「こういうレスラーだから」と受容して見てたり、やたらと展開を気にするのが当たり前になったりして、年々達観や俯瞰ばかりで対象物にのめり込めてないんじゃないかな、今現在の私。

そういう他人の怒りの姿勢を見た時に、「私、趣味で何を気取ったり俯瞰したりしてんだよ」って感情が込み上げてきた。


そういう客の本気の感情を、私はバカに出来ないな。
圧倒的に羨ましいもの。

もしかしたら、「プロレスの楽しみ方を知らない」のは、怒って帰った人じゃなくて、「プロレスの楽しみ方を知らない」と他人に言ってる人の方じゃないの?
ムキになって申し訳ないけれど。


まとめ

個人的に、2015年の『鈴木みのるvs高山善廣』戦後の後楽園ホール内で感じた時のような諦観とやるせなさに近い感情を、AZW新木場大会を見た数日後の今も抱いている。

逆に言うと、それくらい、私の中では示唆に富んだ大会だったとも言えるけれど。
でも、大会や試合の内容は間違いなく楽しかった。


今回のnoteは、「たかだかリング上での発言でしょ?」、「プロレスに対して何ムキになってんの?」と他者から指摘されそうな怒り方になってしまったと、自分自身書いていても思う。

一方で、怒って帰った人に「プロレスの楽しみ方を知らない」とデカい主語で悪態をつく投稿を見てしまった時に、「プロレスって、そんな高尚なスタンスで無いと楽しめないもんなの…?」と、ふと我に返って考えてしまう私がいたのだ。
今大会の感想以前に、「プロレスの楽しみ方とは何ぞや?」という根本の部分。


あと、「プロレスの楽しみ方」というフレーズが、発言主(=美乳輪)の至らなさを誤魔化して、他責にするニュアンスで使われていた点も個人的には死ぬほど違和感があって。

そもそも【プロレスの楽しみ方】って何?
俺には分からないわ、候補が色々あり過ぎて。

現地で「うおおおおおおおおお!!!!!!!」とか叫んだり、カメラで写真を撮ったり、配信見ながら酒飲んだり、大会の感想を人と語ったりすることも、俺にとっては【プロレスの楽しみ方】だと勝手に感じていたから、怒って帰った人を小馬鹿にするのも【プロレスの楽しみ方】なんだなってカルチャーショック受けてる。
俺はしらんけど。


じゃあ、私は何でこの大会に行ったのか?
年始に都内某所の飲み屋に行ったら、たまたまAZWの代表さん(ディック・ズレーター)がいて興行のチラシを渡してくれたから。

飲み屋の店員さんから「(レンブラントが)店に入って来たばかりなのに、いきなりチラシ渡すのやめときなよ」って窘められていたけど、それを振り切ってでも「来てほしい」って気持ちに、何となく惹かれるところがあった。

こういう突発的事象から興行に行くのも、俺の中では【プロレスの楽しみ方】かも知れない。

だから、バッドエンドで迎えたAZW新木場大会に対して、私は「行かない方が良かった」とは決して思っていない。
(バッドエンドか否かが問題だとしたら、今回こういうnoteは書いていない)

ディック・ズレーター


という訳で、プロレスの楽しみ方を知らないバカな私にもさあ、理解できるようなプロレスの楽しみ方やマイクとやらを教えておくんなまし。

俺にはどこまで行っても、その答えが出ない。
大体、そういう確立したものなんて無いから、今までプロレス楽しんできたんじゃないの、私。

俺はバカなままでいいわ。バカのままでいい。

※マジレスして本当にごめんなさいでした。


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