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心臓が止まるまでは~2024.2.7『坂口征夫vsHARASHIMA』~


はじめに

他人の引退試合というものは、ファンが当事者に接している面積が広ければ広いほど、未練と後悔の割合も自然と多くなっていくものかもしれない。

私は一介のファンでしかないけれど、いつしかそのような感覚で(些か勝手ながら)他人の引退試合を捉えるようになっていた。


怪我が原因で現役を続けられなくなった。


新たな道に進む。


大体そのような理由で引退していく選手を客席から見送る度に、「もっと試合を見ておけば良かった」、「将来楽しみだった」という感情ばかり溢れ出てくる。
私自身の後悔を、他人の引退という儀式に重ねてしまうのは良くないというのは理解しているのだけど、ファン歴を重ねていくに連れて、そうした光景は比例するように増えてしまう。


でも、そんな後悔や未練を感じないくらいの引退試合というものに、最近私は出くわした。

2024.2.7、坂口征夫引退試合である。



私が坂口征夫という人を初めて知ったのは、テレビで見た総合格闘技の試合だった。

当時は地上波で当たり前のように放映されていた総合格闘技の試合。
いつかの大晦日で、カードに入っていた1人が坂口征夫だった。

「坂口憲二のお兄さん、総合格闘家やってるんだ」

当時の私が抱いた率直な感想である。

学生時代の私はプロレスのプの字も知らなかったし、坂口征夫の父親にあたる坂口征二の事を偉大なプロレスラーだと知ったのは、この後の話。
(父親の方も、ホンダのCMで坂口憲二と共演してた時の気さくそうな御父様というイメージが最初だった)


テレビで見た総合格闘技の試合から約7年後、私はDDTプロレスリング後楽園ホール大会に足を運んでいた。

初めて観に行ったDDTの大会。
そこで行われたシングルトーナメントで優勝し、その後DDTのチャンピオンにまで上り詰めたのが坂口征夫だった。


当時プロレスファンになりたてだった私は、その時から坂口征夫のカッコ良さに惹かれてしまい、そこから坂口征夫のいたユニット・酒呑童子が好きになり、色々エモーショナルな感情も味わえた。
私にとって、間違いなくプヲタとしての基礎を形作る入り口になっていた1人が坂口征夫だった。
(その辺は別のところで書きたい)


しかし、そんな選手が引退してしまう事になった。


突然の出来事にショックを隠せなかったけれど、リリースが出た直後に最後の試合だけは観ようとチケットを抑えている私がいた。


2021年2月に行われた上野勇希とのDDT UNIVERSAL王座戦。


2022年10月に行われた樋口和貞とのKO-D無差別級王座戦。


2023年7月に行われた平田一喜とのDDT EXTREME級王座戦。


近年、年下の王者が保持するシングル王座挑戦を見ていても、どこか「後進に託す」ようなシチュエーションの試合も増えつつあった。

6人タッグ王座を獲ったりしていても、正直な所、「いずれ生で試合を見れなくなってしまう時が来るんだろうな」と心のどこかで意識していた私がいた。
(これは誰しもそうなんだけど)


だから、引退発表が突然で、引退ロードも本人の意向で短かったとしても、比較的後悔無く受け止められたのは「節目節目の重要な一戦は、出来るだけ生で見ておきたい」という行動パターンも大きかったような気がする。

ただ、間違いなく言えるのは、私のプロレスファンライフの根幹を作り上げた存在が引退してしまう事実。
私は大会当日まで、ソワソワした感情のまま過ごしていた。
夢現なのではないか、という思いで…。


『坂口征夫vsHARASHIMA』

2024.2.7、坂口征夫の引退試合当日。


新宿FACEは平日夜にもかかわらず、立見席も完売するほどの超満員。

この日、一番最後の入場者として坂口が登場すると、観客達は一斉にカメラを向ける。


対角には、DDTの屋台骨を支え続けたエース・HARASHIMA。

HARASHIMAの眼には、試合前から既に光るものがあった。


私自身、HARASHIMAが泣いているシーンを見たのは、2015年にHARASHIMAと棚橋弘至の間に因縁が勃発した時くらいしか記憶に無い。
エースの涙は、選手にとっても坂口征夫の引退が大きなものであることを如実に示す光景となっていた。


試合が始まるや否や、HARASHIMAは坂口に向かって顔面を張るよう指示。
すると、坂口は強烈な一撃をHARASHIMAの頬に見舞う。


その後始まった両者によるグラウンドの攻防は、観衆が声も出せないくらいの緊張感を放つ。


坂口の引退発表時、私は引退試合の会場が後楽園ホールや、両国国技館といったビッグマッチの舞台ではなく、比較的会場規模の小さい新宿FACEだった事に驚きを隠せなかった。

でも、引退試合を観終えた今ならハッキリ言い切れる。
坂口征夫の引退試合は、新宿FACEでのHARASHIMA戦しか無かったのだ、と。

グラウンドの攻防で生まれる張りつめた空気は、大会場と違い客席とリングが比較的近い新宿FACEだからこそ、ビシビシと肌感覚で伝わってきたのである。


いつしか坂口もHARASHIMAも、表情が充実したものに変わっていく。
そこには、引退試合という郷愁も悲哀も無い。


その後繰り出される鈍くて重い蹴撃の応酬は、緊張と静寂を切り裂き、観衆にどよめきをもたらす。


痛みに耐える坂口とHARASHIMAに注がれる、無数の声援。


強烈な張り手を見舞い続ける坂口。


試合前に涙を流したHARASHIMAの表情には、いつもの笑顔が戻っていた。
それはまるで、この一戦が最後のマッチアップとは思えないほどの光景…。


両者の打撃合戦は、試合が終わるまで1度も強さが落ちる場面がなかった。


試合終盤、坂口がHARASHIMAの必殺技・蒼魔刀を喰らうも、カウント3は回避。
リングに額付いた坂口は両手を広げてHARASHIMAに向かい、「来い!」と叫んだ。


直後に決まったHARASHIMAの蒼魔刀は、坂口の引退試合の終わりを確信させる一撃となった。


引退試合ではあるけれど、普段と違う特別な事が起きた訳ではない。

坂口の必殺技である『神の右膝』も、相手をコーナーマットにセットすることはなく、スタンディング状態のHARASHIMAに放たれた1回のみ。

最後だからと必殺技を多用することもなく、徹頭徹尾、普段通りのHARASHIMA戦から雰囲気を変えることなく引退試合にパッケージしてきたのである。


まとめ

坂口征夫引退試合は、極限までの引き算によって生み出される良さを詰め込んだ試合だった。

私は今後も誰かの引退試合を観る機会が訪れるのだろうけれど、引退試合であっても本来の良さを見せることに徹していた、坂口征夫引退試合のような内容には中々出会えないような気がしている。


今回の引退試合を見て私が真っ先に思い出したのは、2019.11.29のDDT横浜ラジアントホール大会だった。
メインイベントで組まれた『坂口征夫vsHARASHIMA』のD-王グランプリ公式戦。

周りが声を出せないくらい張りつめた雰囲気で行われたグラウンド合戦も、蹴り合いも、その何もかもが酷似していたのである。
それはつまり、引退試合であっても、リーグ公式戦と変わらない勝負師としての意地や刺激が垣間見えた事の証左ではないか、と私は思うのだ。


そんな引退試合を見せてくれた坂口征夫、HARASHIMA、DDT、新宿FACE、当日の空気を形成した観衆…。
そのどれか1つでも欠けてしまえば、この内容は成立しなかったと思う。

それらが重なる奇跡を見せてもらえたのだから、私は引退という事実に対しても悲しさは全く無い。
あるのは、多大なる感謝だけだ。


そんな貴重な雰囲気の試合を生で観れたことは、私の人生にとって忘れられないシーンの1つになった。

もう坂口征夫の試合が観れないのは悲しいけれど、試合を見た衝撃と思い出の数々は私の中から消えることはない。

最高の引退試合でした。


P.S.
大会開始前に流れていた曲が良すぎた。

THE BACK HORNを聴き始めたのも坂口征夫がキッカケだったなあ、私…。


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