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ヒトも絶滅するのだろうか

物騒なタイトルをつけてしまった。

以前――少なくとも一昨日までは、「いずれはヒトも絶滅するでしょ」と簡単に答えていたであろう問いなので、敢えて疑問に思うこともなかった。ただ、ふと気になるニュースを目にし、突然不安になった次第である。

既に知っている方も多いだろう。中国最長の川・長江にのみ生息していた魚で、「淡水魚の王」とも呼ばれるハシナガチョウザメの絶滅が発表された。

あいにく、生物には詳しくないので、正直なところハシナガチョウザメなる魚は、絶滅のニュースで初めて知った。しかし、いや、だからこそ、絶滅ということのあっけなさが胸に迫ってきたものである。

最後のハシナガチョウザメは、自分自身が最後の個体であったことはもちろんのこと、まさか絶滅危惧であったことさえ知らなかったであろう。ありうるとして、「最近仲間の姿を見ないな」程度であったのではないか。

翻って、ヒトの絶滅に思いを馳せてみる。ヒトが絶滅に向かっていくとき、そしてそれに抗えないとき、何が起きるだろうか。未来に生まれるかもしれない環境や技術を想像しても、イメージがぼやけるだけなので、あくまで現在の世界の既存態勢で考えてみる。

おそらく、当初は報道などで「ヒトが絶滅危惧」と報じられることだろう。その分、ハシナガチョウザメよりは情報量が多い(それが幸せであるかどうかは別だが)。国際機関も注意を呼び掛けるであろうし、SNSの類でも頻繁に情報が飛び交うと思われる。

それから、徐々に人口が減っていく中で、「絶滅危惧」を伝えていた報道機関の閉鎖が相次ぐだろう。世界的に国民が絶滅した国ができはじめ、国境も揺らいでいくはずだ。そうなれば国際機関も意味を失っていく。SNSを運営する企業も消えてゆく。

必然的に、工業も衰退する。販売する相手が減れば、生産規模も縮小する。必要な個数を細々と作る手工業へと向かうだろう。食料加工も同様であるから、第一次産品の食事が増えていく。企業活動が衰えていく中で、電気や水道も停止する。再生可能エネルギーは変わらず利用できるが、それに必要な部材の老朽化は避けられない。全てのものにおいて、歴史を遡るのである。

その過程の中で、争いも生まれるかもしれないが、いずれ争う相手もいなくなってゆく。笑い合う相手もいなくなる。言葉も失われていく。

そして最後のヒトは、最期の時を迎えて、儚い妄想をするのだろう。

「あと何人生きているかな」

(文字数:1000字)

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