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わかれみち

東京湾河口から、荒川を遡ること20km。河川敷に沿って舗装されているサイクリングロードの先に、岩淵水門がある。荒川の本流から、東京下町の水運を支える隅田川が分岐する地点である。その大きな川の枝分かれを見つめながら、額ににじんでいた汗をタオルで拭うと、晩春の少し強い風が私の傍らを吹き抜けていった。

先月、自転車を買った。ずっと欲しかったロードバイクタイプである。スポーツ用ではないが、都内の道を半日程度サイクリングするには十分足りるだけの仕様は備えている。もちろん、シティサイクルとは比にならないスピードが出る。

私がサイクリングを好むのには、二つの理由があると思っている。まずはもちろん、自転車が好きであるということ。高校時代には往復2時間の道のりを自転車で通学していたが、雨が降ろうと雪が降ろうと、全く苦を感じなかった。そして、旅が好きであるということも大きな理由だ。行くあてもなく、不意に遠くへ行きたくなる衝動は、ある種の放浪癖なのだろうか。終点のある電車に乗ることよりも、燃料の制約のある自動車を運転することよりも、ただ気の向くままに走り続けることができる自転車の旅が望ましい。

半日で回れる程度の距離を走るのを「旅」というのは大げさでは、と思われるかもしれない。まして、東京の中でも自宅を中心とする城東6区というエリアに、自然に触れるような場所が多いわけでもない。ただ、誰も気にすることのない鳥の声を聞いたときや、小さな雲が誰かの横顔に似ていることに気づいたとき、それは確かに旅情を誘う。初めて訪れる街角で、排気ガスと電車とすれ違った人の香水のにおいを吸い込んだ瞬間にさえ、その場所の記憶が生まれる。私にとってはれっきとした旅である。

冒頭で紹介した岩淵水門を初めて目にした私は、上ってきた荒川を横目に、隅田川沿いを自転車で下った。公園で子どもたちが楽しそうに遊んでいる。首都高速を走るトラックが轟音を立てている。日に焼けた肌に汗を浮かばせながら、男性が私とすれ違う。同じ場所に、異なる人生が溶け込んで、街は形作られる。

旅の目的は、非日常の空間で日常の時間に気づくことなのかもしれない――、そんな気取った言葉が頭によぎると、遠くに自宅が見えてきていた。私の中の旅人の影が徐々に薄れていく。そして玄関のドアを開け、日常の空間の日常の時間に「ただいま」を告げたときには、私はすっかり小さな庶民であった。

(文字数:1000字)


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