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ことばのあき

今週の金曜日に、久し振りに会う約束をしている人がいる。偶然が重なって、相手方からお誘いを受けることとなった。大学時代のアルバイト先で一緒に働いていた、一歳下の女性である。以前から彼女はあまり社交的ではなかったので、正直なところ再会できるとは思っていなかった。

おそらく、「何か」があったのだろう。それが、いいことであるか悪いことであるかは分からない。いや、そもそも彼女も何があったとは言っていないのだ。しかし、アルバイト時代から、「次はこの単元を教えるのですが、ここの教え方が分かりません」「言い寄ってきている人の振りたいのですが」「きょうだい喧嘩をしてしまいました」というように、相談や悩みごとを聞くことが圧倒的に多かったので、今回もそう予測してしまうというわけだ。

現在彼女は大学院に通っている。来年からの進路のことで悩んでいるのかもしれない。それとも恋愛だろうか。はたまた、もっと大きなスケールで人生のことを悩んでいる可能性もある。それを聞かれたとき、私は適切な回答ができるだろうか。


しかし、ふと立ち止まって考えてみる。そんな予見や予測、予習は必要だろうか。予期していたことが的中して、用意していた答えを伝えるのでは、何とも味気ない気がする。想定している話題がいつ来るかと身構え、網にかかれば台本を読むように返答する――それでは会話にならないじゃないか、と思い直した。


遠回りしてしまったが、実のところ今回の主題はここである。今朝同じ電車に乗っていた女子高生の会話から着想した。

「今度の待ち合わせ、まだ決めてないんだった。○○ちゃんにラインしないと」
「えー、学校で直接話せばよくない?」
「直接だと、いろいろ考える時間がないんだもん。ゆっくり作戦立てながら決めたいから」

聞くともなく聞いていた私は、「友達と待ち合わせを決めるだけなのに、他に考えることなんてあるのか」と思ったものだが、思い直してみれば自分自身も同じような考えに陥っていることに気付いた。なんと寂しいことだろうか。せっかく久しぶりに会える相手だというのに、全て計算ずくで通そうとしていたのと変わりない。


アルバイト時代、彼女から「男性の先輩というよりもお兄さんという感じがする」と言われたことがある。そうであるならば、きょうだいの会話に準備など必要ない。おかしな気を張ることなく、穏やかに旧交を温められればいい。


――人恋しい秋の風が吹いた。

(文字数:1000字)

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