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「ほんとのパパはいないから」―"パパ活"の実態― #10

彼女にとって、デリバリーヘルスと援助交際は「全く違うもの」であり、向き合い方も違うという。

「デリヘルって、お仕事なんですよ。だから、ある程度決まった流れに沿って、誰にでも一生懸命に対応しなきゃいけない。身体はちゃんと洗ってあげなきゃいけないし、つまらない話でもちゃんと盛り上げてあげなきゃいけないし。私は、風俗は内容が少し特殊なだけで、基本的には接客業だと思っているので、頑張って取り組んでるって感じです。
 でも、『えん』は頑張らなくていいんです。お仕事じゃないから、お金さえもらえれば、あとは友達として接してます。不愛想にするわけじゃないけど、無理に話題を作ったりはしないし、楽しくないと思ったら表情に出せるし。逆に、気の合う人と会えれば、めちゃくちゃ楽しいです。
 だから、『えん』の方が好きかな。無理しなくていいから。でも、『えん』だけで暮らそうとは思わないです。お仕事はお仕事で必要だと思うから」

単純化すれば、デリバリーヘルスは仕事、援助交際はプライベート、ということを言わんとしているのだろう。売春の行為を遊びの一つとしてしまっていることには問題があるが、本人にそのような意識はなく、「暇な人とデートしている」という程度の認識であることが透けて見える。

彼女に、「売春をやめようとは思ったことはない?」と聞いてみた。彼女の話では性行為による身体の負担にも言及していた。そこで、狭義の「パパ活」、すなわち食事などのデートをしようと思ったことはないか、という質問を投げかけたのである。

「売春とか言わないで下さいよ。なんか悪いことしてるみたいです。
 食事だけでも別にいいんですけど、男女がデートしたら、結局ホテルに行く流れになっちゃいません?」

さて、この売春という行為にはもう一つキーワードがある。それは、売春防止法による「売春」の定義の中に見ることができる。

第二条 この法律で「売春」とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交することをいう。

「不特定の相手方」という限定である。対義的な語としては、「特定の相手方」となる。この違いは、「特定の相手方」から逆転する方が分かりやすいだろう。

特定の相手方と性交をする、という行為を考える。相手を「XXさん」と「特定」することが重要である。つまり、「XXさん」が相手であることが重要なのであって、ある意味では、どんな条件を出されようと、「YYさん」では性交には至りえない、ということになる。繰り返すが、「XXさん」という部分に主眼が置かれていなければならない。

すなわち、「不特定の相手方と性交」というのは、「誰でもよかったが、結果的にXXさんと性交した」という状態のときに当てはまる。

それでは、援助交際・パパ活はどうなるか、といえば、ほとんどの場合が「不特定の相手方」に当てはまるだろう。方法は何であれ、会う日程や場所、支払われる金額などをもとに、「どこの誰であるか」を(ほとんど)考えずに、相手方を選択する。つまり、パパ活で性交を行うことは、やはり売春の要件に合致すると言える。

「でも、売春をすること自体は罰せられないですよね」

彼女は、自信のありそうな表情でそう言った。「罰せられる行為でないなら、咎められる理由もない」と言わんばかりの様子だった。

「単純売春は罰せられないけれど、勧誘をしているよね。勧誘は懲役か罰金にあたるのは知っている?」

彼女の表情は一気に曇った。

***以下、著者Halより***

本連載「『ほんとのパパはいないから』――"パパ活"の実態――」は、この先の投稿の予定もあったのですが、この回で打切りとさせていただきます。非常に中途半端なところでの打切りとなり、大変心苦しく思っています。ただ、これ以上連載を続ける動機を失ってしまいました。理由はいくつかあります。

まず、連載開始当初から比較して、最近急激に「パパ活」に関する情報が増えてきたことです。特に、調査力のある報道機関やその他メディアなどが積極的に扱うようになったことが大きな要因です。一個人である私が、普段の仕事の合間などに調べることができた情報は相対的に少なく、そのような限られた情報源を基にして書いているものを「実態」と謳うことは不自然です。取材源や取材者の「数の力」に屈さざるを得ませんでした。

また、私からみて違法、少なくとも社会的に適切とは言えない方法によって、「パパ活」を取材している個人の存在に気づきました。彼らも、目的としては「パパ活」を問題視し、注意喚起をしようとしているのかもしれません。しかし、扱っている対象が同じである以上、私がどれほど自分で「適切な方法で取材している」と表明したところで、読者の側からすれば区別がつかない可能性は十分にあります。そのようなリスクを背負って書き続けるのは、私の真意が伝わらないのみならず、私が取材した人々にも迷惑をかけかねません。このことも、連載打切りを決めたきっかけになりました。

これ以降の連載を公開しないことによって、タイトルに入れた「ほんとのパパはいないから」という言葉が置き去りになってしまうため、これにまつわるエピソードを最後に書き留めておきます。

彼女は、19歳の大学生でした。首都圏のある国公立大学の2年生です。週に3、4日は「パパ活」をしている、といいます。

彼女が「パパ活」を始めたきっかけは、お金が必要となったためでした。大学に入り、思っていた以上に費用がかさむことに驚きました。できる限り講義を受講したいけれども、科目が増えれば必然的に購入する教科書の冊数も多くなります。できるだけ必要な教科書が少ない講義を選ぶようにしていました。また、部活やサークルはユニフォームなど必要なものがあるため、一切加入しませんでした。それでも友人と出かけたり、日々の昼食などにもお金が必要です。高校時代は制服ばかり着ていたため、不足する私服の購入もせざるを得ません。1年生の途中で、貯金がほとんどないことに気づきました。

アルバイトは学習塾の講師をしていました。しかし、給料が振り込まれるのは月末です。それに、夏期講習期間などの「稼ぎ時」にいくら働いても月に4、5万円がいいところ。余裕がないどころか、生活を切り詰める必要がありました。

彼女は実家暮らしです。朝ごはんと夜ご飯はお母さんが作ってくれます。そのため、アルバイトの給料は半分を家に入れていました。年間50万円にものぼる大学の授業料を払ってもらっている以上、お小遣いはもとより、教科書代などをねだることなどできませんでした。

そこで「パパ活」に足を踏み入れたのでした。一度会えば2、3万円が手に入ります。彼女はそれを元手に教科書や洋服を買い、残りは貯金に回していました。それは、授業料を払ってくれた親にいつか返すためだといいます。

そんなきっかけで「パパ活」をしていて、辛くなったりすることはない? ――酷な質問にも思えましたが、私は自然と尋ねていました。授業料を払ってもらうことの負い目や教科書代の自己負担で苦しいという話は、私自身も全く同じ経験をしていたからです。私はいつしか彼女に自分を重ねていました。

「やっぱり辛くなることはあります。なんでこんな年上の人とホテルに行ってるんだろう、とか、悩みもします。
 でも、仕方ないと思っているんです」

彼女は寂しい目をしながら微笑みました。自分が大学に引け目なく通う、というためだけに、「パパ活」を仕方ない、とまで思い詰めさせてしまう社会に、私は胸が詰まる思いがしました。

「私の家は、他の人ほど裕福なわけじゃないし、それなのに身の丈にも合わず、大学を卒業しないと就けない仕事を諦めきれない私の、自業自得でもあるのかもしれませんし。
 育ててくれたママのためでもあるので、今は『パパ活』頑張ろうかなと思います。パパって響きもいいじゃないですか。ある程度年上の男性と会ったときは、私はいつもパパって呼ぶんです。
 私、ほんとのパパはいないから」

私が取材した21人の「パパ活」をしている女性のうち、親の片方がいないと話したのは16人に上りました(そのうち、父親がいないのが15人)。私から親の存在を尋ねてはいないため、他の5人は単に話題にしなかっただけで、両親がともにいることを確認しているわけではありません。

ほんとのパパはいないから。――この事実は、偶然なのでしょうか。

以上


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