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クスリの儀礼・礼儀のリスク

「ばかにつける薬はない」という言葉がある。いつ頃生まれたのだろう。なんとなく落語の台詞にもなりそうなイメージで、ユーモアを感じる。

2月の初め、調剤薬局に行く機会があった。その日は高熱に苦しんでいて意識も朦朧としていたので、文章にまとめる気力もなかったが、一つ書いてみよう。

名前を呼ばれた男性が窓口に行くと、薬剤師が薬の説明を始めた。

「いつもの血圧と血糖値のお薬です」

すると、男性はすぐに口を開いた。

「そんなこと、でかい声で言う必要あるか。何の薬なのか、他人に知られたくないに決まってるだろ。
 今『いつもの』って言ったよな。そう。いつも病名を言われるんだよ。何度不快だと言っても同じだ」
「しかしですね……」
「医者でもないくせに、他人の病気を指摘するのがそんなに誇らしいか」

男性は薬をつかむとすぐに出ていった。気まずい沈黙が薬局に流れた後で、次の人が呼ばれた。こちらは高齢の女性だった。

「今日も緑内障のお薬をお出ししています」
「あなたねえ、さっきの人の話、ちゃんと考えてみてね。私なんて別にいいけれど、嫌に思う人もいるんだから。処方箋の項目を指差すとか、少し遠慮して話すとか、できないの?」

確かにそうだよなあ、と思いながら、その光景を見ていた。その日の私のような一過性の病状の患者は、出される薬は毎回違うのだから、詳細の説明を聞かなければなるまい。それに、風邪引きを敢えて知られたくない気持ちも少ない。しかし、生活習慣病や、進めば失明さえありうる緑内障のような継続的な病気の場合、せめて同じ薬のときくらい静かに済ませたいと思うのは当然だろう。服薬指導は法定事項だが、声の大きさはマニュアル事項にすぎない。接客である以上、配慮を忘れてはならない。

その後、私の番が来た。

「今回の熱発には」「重篤な副作用にはアストマがあり」「ゼグレートを抑える薬」

「熱発」一つ取っても、意味は分かれど日常用語とは言えまい。専門用語は、その世界では誤解のない的確性を持つが、専門外の人には極めて不親切で、疎外感を抱かせる。

今回がたまたま薬剤師の例であっただけで、こうした例は枚挙にいとまがないだろう。そういえば、最近は「感染者集団」ではなく「クラスター」、「感染爆発」ではなく「オーバーシュート」。故意に難しく言っている気さえする。

さて、人々を戸惑わせる"頭脳明晰"の彼らにつける薬は果たして……、こればかりはクスリとも笑えない。

(文字数:1000字)

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