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タンポポの春

春になり、道端に小さな花が咲いているのを目にするようになった。どこから飛んできたのか、自宅のそばの車道沿いにも、一輪のタンポポがアスファルトを押し割るようにして力強く背筋を伸ばしている。

季節の移り変わりを告げるそのような光景を眺めながら、私は横浜の職場へと通う。都内の自宅から職場までは一時間強かかる。もう少し近い場所で勤めた方が、心身ともに楽になる気はするが、こればかりは採用してくれる会社がなくては致し方ない。考えてみれば、通勤・通学に電車で一時間かかるのは、大学時代からのことだし、冒頭のような季節を感じる余裕もできるので、さほど不満に感じているものでもない。

通勤電車では、私は基本的に本を読んでいる。小説を読んでいるときもあれば、ノンフィクション作品に唸っているときもあるし、仕事で必要な知識を得ようと難解な書物に頭を傾げたりもしている。いずれにしても、私は座席にはほとんど座らない。座ると眠くなってしまうという呑気な理由も多少あるが、極めて混雑している車内で若い私が率先して座ることへの抵抗心の表れという側面が強い。座席をどこかで譲るくらいなら、初めから座る必要はないと思っている。

しかし、彼の場合は違うようだった。私が乗っていた電車に乗り込んできた高校生は、乗車の列を乱して駆け込むようにして車内に姿を現すと、ちょうど空いた席に座ろうとしていた中高齢の女性を押し出すようにして、その座席に腰を下ろした。女性は驚き、不満そうな表情を浮かべていたが、仕方なく吊革を握った。小柄な女性の腕がまっすぐに伸びきっている。

満員電車で声を出したくはなかったが、ほとんど無意識で私は目の前の彼に話しかけていた。

「この状況で、罪悪感はないの?」

既に目を閉じていた彼は、面倒くさそうに私の方を見ると、吐き出すように言い放った。

「疲れてんすよ」

女性は申し訳なさそうに私に「いいんですよ」となだめてくれた。それとほぼ同じタイミングで、近くで座っていた壮年の男性が女性に席を譲った。高校生は眠り始めた。

他人を押しのけてまで座る高校生と、アスファルトの隙間を割って咲くタンポポ。似ているようで全く違う。

タンポポは、花が終わると一度倒れ、数日後に再び立ち上がって元よりも大きくなり、実をつけるという。その日、元気のなかった高校生も、タンポポのように大きく胸を張って羽ばたくだけの人間になれることを、寂しくも祈っている。

(文字数:1000字)

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