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コノセカイハキレイダ

Mr.Childrenのヒット曲『innocent world』に、こんな一節がある。

近頃じゃ夕食の話題でさえ仕事に汚染よごされていて

『innocent world』 Mr.Children, 1994

最近、まさにその通りだと感じている。noteへの投稿を考えようとすると、 まず頭に浮かんでくるのは仕事に関する話題だし、ぼうっと一人で考え事をしているときも、仕事のことが頭をちらつく。そのことを形容する場合、仕事に「よごされている」という言葉がやはりしっくりくる。仕事に「支配されている」とか「侵されている」では言い表せない、いわば"静かな不快感"がある。不安や失望ではなく、常にそこはかとなく不快なのである。

仕事のことを考えずに済むなら、日常が多少透き通って見えるだろうと思う。どことなく、世界がくすんで見えるのだ。

原因として、今の仕事への不満が少なからず作用している部分はあろうと思う。ただ、不満のない仕事があると思わないので、この点については、不満の大小で考えるしかない気もする。

不満をより小さくするためには、どうすればよいのだろう。解決可能な問題で転職や異動を繰り返したくはないので、これまでも私なりに考え、実践してきた。環境は自分で変えられるはずだ。

物事を考える視点を変えて、不満をポジティブに考えてみようという努力をしてみた。しかし、「ポジティブに考えよう」という意識そのものがストレスになった。かえって不満に焦点が当たるからである。

上司への不満を、丁重に直接伝えてみた。事前に私以外のメンバーにも確認し、彼らも同意する客観的事実のみを伝えるように心がけた。上司は逆上し、私の欠点をあげつらった。

年末年始中に海外の顧客から入ってきていたメールが多かったため、年始の仕事量を軽減しようと思い、休暇中のある日、その対応をした。それらのメールをCCで目にした上司は、休み明けに「毎日やればよかったのに」と一言。どういう意味かは分からない。気にしないことも、不満を軽減する手だ。

生活が仕事によごされている。

さて――、Mr.Childrenの歌の話に戻って締めくくろう。仕事に疲れたときにふと思い浮かぶのは『彩り』である。

なんてことのない作業がこの世界を回り回って
何処の誰かも知らない人の笑い声を作っていく
そんな些細な生き甲斐が日常に彩りを加える

『彩り』 Mr.Children, 2007

いつかそう思える日が来るなら、夕食の時の仕事の話題も、汚染よごれではなくなるのかもしれない。そう願っている。

(文字数:1000字)

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