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反発と依存と

「優等生は先生に好かれる」。私はこの命題に例外があることを身をもって知っている。

大好きな同級生たちに失礼のないように言うとすれば、私は確かに優等生であった。運動は少なくとも人並以上にはできたし、勉強で他人に負けることもなかった。ただし、私は先生に全く好かれなかった。

小学三年生のとき、私は授業中に手を挙げても当ててもらえなかった。ひどいときには、私が挙手しているのに「この問題が分かる人、誰もいないのか」とまで言われたことがある。理由を聞けば、「他の子が手を挙げていないから」。つまり、クラスメイトが手を挙げれば、その子が指される。クラスメイトが手を挙げなくても、結局私は無視される。先生なりの理由があったといえばそうかもしれないが、一生徒が大きく傷ついたのは事実である。

中学時代、理科の5段階評価で「4」しか取れなかった。中間・期末の定期考査でともに満点だった学期も、「4」だった。それは、「関心・意欲・態度」の項目が一段階低いからだった。満点は、関心や意欲が低くて取れるものではない。学習塾に通わなかった私にとって唯一の学習の場であった学校の授業には相当の集中をもって臨んでおり、受講態度が悪いとも到底思えなかった。中学3年生の時、気になったので教科担任に「何がよくないのでしょうか」と聞いてみた。すると、「そういうところよ」と言われて、その学期は不可解に「3」だった。その結果、内申点平均で4.8を受験要件としていた志望先の県立高校の推薦入試には挑戦することすらできなかった。

私は勉強が大嫌いになった。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の通りに「教師憎けりゃ……」である。勉強は学校だけにして、自習など絶対にしたくなかった。だからこそ、(逆説的ではあるが)学校の授業は私にとって何よりも大事だったし、先生は不可欠の存在だった。

それを考えたとき、今の状況下の子どもたちが本当にかわいそうだと思う。どうにか力になれる方法はないかと思いを巡らすが、名案は浮かばない。大学時代に塾講師をしていた経験を生かして、学習支援noteの別アカウントでも作ろうかとも思ったが、踏ん切りはつかない。

そんなことを在宅勤務中に考えながら、ふと思う。早く、安心して子どもたちが元気に学校へ行ける日が来るといい。その時は先生たちも、一人ひとりを大切に迎えてくれるといい。そう、あの頃の私のような生徒を二度と生みださないためにも。

(文字数:1000字)

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