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愛という言葉を毛嫌いしていた過去。

「愛してる」という言葉のやりとりにすごく嫌悪感を持っていた。

それはきっと欲しくても手に入らないものだと認知していたからだ。

いつしか異性間での
「愛してる」や「愛」について語られることを正直バカにしていたと思う。

本人たちがそれで満たされていればいいのに、私は卑屈になって「そんな言葉で浮かれちゃって」と思っていた。



私には無関係だと思っていて  
手に入らないとわかっている勝負ならわざわざステージに立ちたくない。
ずっとそう思ってた。

でもそれは大きな勘違いだった。

既に私はたくさんの愛を貰っていたのだ。
特に両親に対しては「私が欲しいものをくれなければそれは愛ではない」という何とも傲慢な考えを持っていて、差し出される愛を全て否定していた。


今振り返ると本当に情けないというか
申し訳ないというか、切ない感情になる。

加えて、皮膚疾患を持っていたわたしは
容姿にコンプレックスがあり
高校生時代にまともな恋愛をしなかった。
そんな自分は愛されることはないのだと思い込んでいた。

こんな汚い私を誰が好きになってくれるのか?
そもそも私は私をすぎではない。


そんな思いを持ちながら高校生活は
アルバイトに明け暮れた。

愛が手に入らないなら、金だ!
(なんちゅー高校生w)


もちろんお金は大切だと思う。
でもやっぱり心は満たされない。
物を買ってもどこかへ行っても
一時的に満たされたような気持ちになることはあるけれど持続しない。


一過性のもの。


だから、また満たされ(たような気持ち)たくてお金を稼いでお金を使う。
お金は循環するけれど心はイマイチ動いてない。
もちろん当時はその事にすら気づいてなかった。


どんどん自分がズレいく違和感はあったけどそれは気づかないフリをしていたというか。
気づいたところでどう対処していいかわからない。わからない事にわざわざ手を出したくない。
そんな思いから数十年もの間見ないフリをしていた。


感覚はどんどん麻痺していく。


でもずっとどこかで
私も「愛」を感じたかった。



繋がりを求めていたことと同じように
愛について触れる機会を心の底では望んでいたんだと思う。


そんな自分の中の純粋な気持ちを
置き去りにしてきてしまったことが今になってやっとわかった。


誰かをみてすごく羨ましくなったり
羨ましいを超えて悪口を口にするとき
そこに自分の願望が隠れていたりする。


"本当は私もそれが欲しい。"

でも手に入らないと感じてるから
手に入れてるヤツがムカつく。

そんなもんだ。

そんな自分に気づいたら
優しく手を差し伸べてあげてほしい。
まずは、欲しがってることを素直に許してあげてほしい。


では!


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