本当に解決しなければならない問題

ドストエフスキー『虐げられた人々』感想文


 冒頭でお爺さんが死んだ場面の後は、ひたすら地味な内容だった。ストーリーのラインがぼんやりしているわけではなく、むしろサービス精神旺盛なくらいに起伏に富んでいるが、主なテーマである結婚する・しない、家族を許す・許さない、財産を騙し取られた等といった話に、私は全く興味がないのである。登場人物たちはことあるごとに叫んで、泣いて、痙攣して、失神して、抱擁して、接吻してよく動くが、全部空回りに感じた。おお! なんと! と登場人物も語り手も一緒になって盛り上げる割には、大したことが起きていない、という技が決まったと同時にレフェリーがリングの振動に合わせてジャンプする感じが私がドストエフスキー作品を苦手な理由である。
 虐げられた人々、とは誰のことだったのだろう。一番悲惨に見えた、冒頭のお爺さんがそうといえばそうなのだが、彼は虐げた人でもあった。次に悲惨な少女ネリーは自分の意志で貧しい生活を選ぶ強い人である。そのほかの主人公一味は、階級はそれほど低くなく、苦悩の原因は自業自得であり、善人ではあるがそれなりに加虐性があり、総じて自分たちを不幸だと認識している割には各々我を通してしたいようにしている。どちらかといえばおめでたい人々である。欲求の段階的には、明らかに危険な相手と結婚したくてたまらなかったり、家族を赦さなかったりという問題は、生存の問題がクリアになったあとの上位レイヤーにある、暇でないとできない贅沢な苦悩である。しかし作品内に、彼ら以外に不幸な人間はいないのだから彼らがそうなのだろう……。
 役回り的に虐げる側である悪役の公爵にしても、とんでもない悪事を犯して主人公一味を不幸に陥れたというよりは、元々プライドと被虐意識の強い善人たちと取引をしたばかりに後処理に困っているという風に見える。悪意、能力の点で公爵は振り切れていないのだ。容姿端麗で地位があるなら、遠慮して生きるなんて馬鹿馬鹿しい。それを考えれば、彼は(露出癖はあるにしても)まだマシな方なんじゃないのか。悪意があったとしても女子供に「あの人は信頼できませんわ」と見抜かれるくらいだから可哀想である。しかし仮面を付けないことを誇るような人間こそ危なっかしい。仮面を常に付けなければならない者のそこに至るまでのプロセスにどれほどの経験があるか……。作中で現実を正確に見ているのは公爵だけのように感じる。
 結局のところ、公爵は目的を果たしたのか、明確な悪意を持っていたのか、どちらが勝ったのか負けたのか、はっきりしないまま終わる。要するに主人公一味と公爵側の間に生じる対立の争点は、大人の意地の張り合いと思春期のホルモン異常である。勝手にやってろ、と言いたくなってくる。物語中盤で公爵は、主人公を居酒屋に誘い二人きりで話している際、自分の息子とその恋人を「あの馬鹿ども」と言い放つ。それも可愛げのある、ではなく、どうしようもない、というストレートに否定的な意味での“あの馬鹿“だ。それは息子達に対してだけでなく、主人公一味全員に当てこすったように私は感じた。虐げられた、侮辱されたと叫んで、泣いて、痙攣して、失神して、抱擁して、接吻する、悪く言ったら方々から怒られそうな真面目な者たちを指して、この一言はたまらない。こういう性格の悪い捻くれた爽快感が、私が抱く幻想の中のドストエフスキー作品である。
 ところで作中で特異な点は、主人公の立ち位置である。普通の小説の主人公に備わっているはずの意志や葛藤、弱みといったものがない。ないわけではないが後景に下がっている。この物語の基本的な進行は、主人公が情報を運ぶことによってなされる。A氏から[話a]を聞く、B氏の家に移動、[話a]を聞いたB氏から[話b]を聞く、Cの家に移動する……という具合に一日中、主人公は情報を運んで歩き回り、それによって問題が解決したり、新たな問題が起こったりする。主人公は召使というわけではなく、その他人物との関係性は、家族や親戚、友人であり対等であり、この作品は一言で言えば他人の人生を気にかけて家々を回っている良い人の記録である。周囲も皆彼に感謝しているが、しかしどことなく態度がそっけない。皆自分の心配事については語り尽くすが、心配事を抱えている同じ人間のはずの主人公に対して、あまり話を聞きたがらない。主人公はまるで胸の内を吐き出して、それを伝えたい人に勝手に運んでくれる、便利な壺のように扱われている。物語終盤に回想で出てくる対比的な別の家族の物語でも、主人公の立ち位置は明らかに犬なのである。しかしこの犬扱いされている不思議に関して、この状況こそが主人公の意思によるものなのではないかと思う。なぜなら主人公は売れない小説家であり、おそらく書くことがない。暇で街を歩き回っている。処女作が大当たりした後のパッとしない長い年月には、自分の人生のことは考えずに、他人の苦労に共感しつつ、一緒に叫んでいないとやってられない。
 そんな中、悪魔的な公爵からだしぬけに、で君はどうするんだね? と問いかけられる場面がある。こちらが見えていないと安心しきっている所にいきなりグサっとくる。この瞬間、公爵は父であり、神であり、あるいは唯一の友人である。しかし、よく考えるとそんな場面はなかったような気もしてくる。なぜなら全体的にあまりに難解な長台詞が多くて私の理解が及ばず、連続性のあるシーンとして場面をほとんど記憶できていないからである。この存在が曖昧なセリフが、個人的にあまり興味をそそられなかった作品全体の中で際立って印象に残っている。


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