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ぼーっとする時間のすすめ

昨日は電車に乗って大好きな菊池亜希子さんのトークショー&サインお渡し会へ行ってきた。
顔が小さくてスタイルがよくて可愛くてきれいで透明感があって素敵な女性だった。ますますファンになってしまった。
菊池亜希子さんの事を語り出すとキリがないのでここらへんにしておく。
まさしくわたしの推しの1人だ。

さて、目的地に向かって電車に乗ってふと周りを見てみると、みんな携帯をいじっている。わたしも携帯を見たり本を読んだりしていたが、ふと気がつくと、ほとんど、小学生の子どもまで携帯を見ている。
なんだか異様な光景だなあ。と感じた。
10年15年くらい前はここまでではなかったような…

今や携帯はあらゆる機能を備えたなくてはならないツールだ。もちろんわたしも携帯で電子決済もしているので携帯さえあれば手ぶらで出かけることができるほどだ。
わたしも含めて、みんな携帯に依存し、コントロールされているとさえ感じる。

携帯から顔を上げてぼーっとした。みんな携帯を見ている中、ぼーっとしてるのはわたし1人。
大平一枝さんの新刊の「人生フルーツサンド」で、ぼーっとする時間の大切さが書かれていた。
ぼーっとするということは日常に隙間ができて、いろんなことを想像して遊べる。と。

そういえば同じような話しを10年くらい前、一緒に働いている定年間近の方からもその言葉を聞いたことがあることを思い出した。
「みんな電車で携帯を見ていてもったいない。ぼーっとする時間は貴重で大切なことなのにね」
その時はまだ今より若く、携帯から様々な情報を得ることに夢中だったから、そうかな。と思っただけだった。

でも今、その言葉がよく沁みる。
ぼーっとする時間は色々なこと、家族のこと、生活のこと、仕事のこと、自分のこと、など考えるチャンスなのだ。その時間が自分を育てる。と言ってもいいかもしれない。

わたしは小学生の頃から1人で空想しながら、ぼーっと歩くのが大好きだった。誰にも邪魔されないで自分の1人の時間に浸る。その時間があったから、大勢が苦手なわたしは賑やかな学校生活をなんとか過ごせたのではないかと思っている。

携帯を見ると情報に溢れていてずっとその情報に振り回されている気がする。脳がフル回転している感じ。そしてそのことにたまに疲れてしまう。
その情報、ほんとに全て必要かな。

たまに、10分でも5分でもいい。昔みたいにぼーっとする時間を持とうと思う。カフェなら周りを観察してみたり、家ならただただ内省してみたり。
その時間はきっとわたしにとって豊かな気持ちを与えてくれるはず。
デジタルデトックスまではいかないけど、ほんの少しの時間、自分を大切にする時間。

電車でぼーっと間抜けな顔をしている人がいたらそれはきっとわたしです。


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