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「トラちゃん」

トラちゃん。地域猫。某スタジアムと某外語大がある以外はな〜んの変哲もない駅の近くの畑、および駐車場に住んでいた。みんなの人気者で、駅に続く道を通るサラリーマン、近所の保育園の子どもたち、通りすがりの人々、近所の人たちみんなから愛されていた。決まって誰もが彼の特徴的な模様を見てこう呼ぶ、「トラちゃん」と。

トラちゃんはいわゆる雑種のキジシロ猫で、正確には「キジトラ」ではない。彼は人慣れしていて温厚な性格で、逃げないし体に触れても嫌がることは少ない。
その上彼は賢い。名前を呼ばれると駆け寄ってきたり、お世話をしている人が夜仕事場から出てくるまで、まるで忠犬のようにおとなしく待っていた。脚の悪いお婆さんが歩いていれば、心配して付いて歩くこともあった。
朝になると道に出てきて、道ゆくサラリーマンに挨拶をしつつ見送っていた。

彼は人間の子供に優しかった。
だから彼は、私みたいな社会のゴミに対してもまた、優しかった。
私が職場で嫌なことがあったとき、隣で話を聞いてくれた。
雨が降った夜のある日、トラちゃんと朝まで雨宿りをしたこともあった。
何もない休日の日も、私の顔を見るなりしっぽを立ててんにゃんにゃ言いながら走ってきた。
平日の昼下がり。いつもの道に行くとそこには大抵トラが居て、駐車場の空きスペースか塀の上で気持ちよさそうに昼寝をしていた。
その時の私は昼出勤だったのだが、昼寝をしている彼に軽く挨拶をして、それに対してトラがしっぽで返事をする、というのが私の日課だった。
トラを見ているだけで安心して出勤できたし、それが私にとっての一日の始まりだった。

トラはもういない。
彼がいた塀の上、駐車場には何もなく、彼にとっての遊び場だった畑には誰もいない。
毎日その道を通るたびに、私は彼の面影を目で追ってしまう。探したっているわけないのに、無意味なのに、無意識に探してしまう。
そうして毎回悲しい気持ちになって、私の一日が始まる。
トラはもういない。

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