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心のアウトプット・迷い・認めること〜殴り合ってまた作る〜

生きていると色々な感情と考えが内側から沸々と出てくる。
止まらないHa~Ha。
最近気づいたんだけど、それを外に出さないとパンクして生活に支障をきたすので、noteも書いているんだけど。みなさんもお気をつけて。

正直アウトプットなんて、どんな言動もアウトプットになると思ってる。
会話や文章、絵を描くこととか形に残るものはもちろんだけど、例えばスポーツとか、歌うこととか、ただ走ることとか。

何か自分の内側から生まれたものを、この世界に出してやって、自分はここにいるんだぞと伝えられれば、そんなのなんだって良い。
友人がダンスを始めたと言っていて、最高の自己表現の手段だなって思った。
皆何かしらを手段として、等しくそうやって生きている。

アウトプットは、キャパ的な問題以外にも、脳みそから飛び出た思考を、瞬間で客観的なものにしてくれる。
自分の思考を客観視できるから、主観を飛び出して、俺たちは世界に飛び立てる。
多分迷っているから、フィードバックが欲しいんだと思う。

会話で殴り合ってまた作る

ただ会話という手段に限定すると、俺はいろんな人とずっと話したり、一緒にいるのは苦手だったりする。
これを考えるとアウトプットはすごく体力を使うことなんだと思う。だって一旦内側のものを出し切ってしまったら、心が砂漠みたいになっちゃうからね。
俺の場合もう会話にならない。喋ってるつもりで声が出てないなどなど。こちらはこちらで生活に支障が出る。

別軸の話をすると、アイデンティティが溶け出すという感覚もある。
会話なんて、アウトプットのやり合いで、殴り合いで、自分と違う価値観、バックグラウンド、行動がたくさん見えてくる。
アイデンティティが確立してればこんなことにはならないのかもしれないが、自分の色が溶けて混ざって、何者なのかよくわからなくなる。

つまり

だれもが自分の時間を作るってのは結局、

  • 一回砂漠化した心を潤すこと

  • アイデンティティの再構築

のために必要なのかなって思ったり。

諸々悪いことではないんだよ。
破壊と再生で筋肉と同様に、俺たちは大きくなっていく。
もし、アウトプットして破壊してなければ、俺たちは何も変わらず、同じ言葉しか生み出されなくなってしまう。

大事なのは、内側で生み出すスピードとアウトプットのバランスであり、自分軸で考えるアイデンティティと他人軸で考えるアイデンティティのバランス。

アウトプットするには生み出さないといけない。
自分の色を。そんで変わり続ける自分を自分で認めないといけない。
自分らしさとかいう、無駄な枠組みを取っ払って認めてあげないといけない。

シラフでは生き辛い世の中だこりゃ。

結論

結論、迷いながら生きています。これはずっと言ってきた。
決めてしまうのは簡単。決めてしまえば行動につながるのもそりゃそうだ。
それは多分できている時もあるし、しないとそりゃいけないです。

けど迷って生きる時間も認めてあげたいし、そう生きていたいまでもある。
全ては、全てを認めるところから始まる。

世界で一番好きな漫画NANAのタクミは
「事実は事実のままありのまま受け入れろ」と言っていた。
調査データを見せるときも、事実と主観混ぜるな危険、的な感じで言われた覚えがある。

形なんてどうであれ、現状のいびつさを認めるとすごいすっきりするかもで、そこがスタートになる。
作って、認めて、出して、変わる。

存在証明は自分の言葉で、自分の神は自分の中に。

じゃあまたね。

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