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意思決定する場面を作ってあげること。これがコーチングだと思う。

突然ですが先日、こんな投稿を見ました。
中学のバスケ部で教えてる俺も同意見だと思った。

確かに客観的に意見をして指示を出す、一般的に使われる意味での「監督」としてのスキルも必要。

だけど、仲間として一緒に戦う熱さが無ければ人はついてこない。
たとえ、中学生だとしてもこの人本気だなてのが伝われば動く。

ついてくることを信じて、熱量入れ込められるかだと思う。

だから、「やれよ」じゃなくて「やろうぜ」、走ろうぜ、勝とうぜ、声出そうぜって俺は言う。
結局皆上から命令されるのは嫌よな。

◆◆◆

全国優勝に何度も導いてる福岡第一、井手口先生のこの言葉。
これも大切に大切にしている。

プレイヤーとしての温度感も残っていて、
動こうと思えば生徒と一緒に動けて、
プレイヤーの気持ちも分かりつつ、
「もう自分が試合出てやりたい」て思っちゃうくらいの前のめりな思い。

良く悪くも20代にしかできないなて思うんだ。
俺は大事にしていきたいよ。

俺も激アツな試合体感したいから、一緒に仲間に入れてよて気持ちもある。のは許してくれ。

生徒には意思決定をさせろ

ただ、俺は生徒にはほんと些細なところでいいから、意思決定を自分たちでする場面を作ってあげることが大切だと思っています。
(当たり前なのですが。)

コーチングって企業のマネジメントとかでも使うからそういった場面でも俺は同じことが言えると思う。
だからこそ、
中学生の時期から意思決定して欲しいんだ。

全てを与えてると、全てコーチが提供してくれて、何も考えなくて良い、と言う思考のチームになる。

それはやっぱり、退屈だからだと思う。
人間聞いてるだけやらされてるだけなのは退屈だよ。
何かを自分の意思で生み出したいという欲求を持っている。

それを引き出してあげるんだ。

◆◆◆

自分たちで何が良くて、何が悪いのか、何をしたいのかと言う意思を持つ。
なんなら、このチームにいる意味を作り出せとも伝えます。

もちろん、生徒がそこにいてくれるだけで嬉しい気持ちもあるんだけど。
それだけで笑顔で過ごせる社会ではないですよね。

中学、高校と入るのが当然で親が言ってるから入ってきた人も多いでしょう。
自分のやりたいことを自分で選ぶという意味では、部活って中学生にとっては大きな選択だと思う。

ここで、なんとなく部活を選んでしまい最後までダラダラ続けてしまう人間も多い。
自分で選択したのなら、自分で選択したなりの理由を見つけ出して欲しい。

見つからなかったのなら見切りをつけることも大事だと思う。
やるなら、何かを見つけ出すという意思を持って欲しい。

自分の居場所は自分で作り出す。
このくらいの気概があった方が、これから生きやすいじゃないかなーて思うんです。
正直、日本の教育の敗北だとは思ってますが。


◆◆◆

まあ他にも例えばこの前は、
アップに10分時間あげるから好きなことしていいよて言った。

最後ちょっと時間はみ出しちゃって、キリがいいところまでやっていいですか?て聞いてきたので俺は、

決めて!

て言いました。
そんなん正解はない。
キリ良くやった方がいいと思うなら、周りに指示を出すところまで自分でできた方が良い。

俺はもともと完全なトップダウンのコーチのもとで中学バスケをやったから、その毛色はあったんだけど、
そうゆうチーム作りは俺には向いてないと2年くらいで気づいた。

だし、こっちの方が強くなるし、圧倒的楽しい!って確信している。
組織はこうやって変わるんですね。

コートには俺は立てない。
そとからわーわーいうより、
中の選手が思いを共有して、議論して、意思決定をした方が強いチームだよ。

バスケって、速攻のディフェンスの場面でそれを全部数秒で行うスポーツだと思ってる。
だから、決めて!と言った。

決めちゃえばいいんだよ。
それで否定するコーチじゃないし、仲間じゃない。

周りを信じて、自分を信じて、思ったことをどんどんアウトプットして欲しい。

これが彼らの成長に必ずつながる。
自分の意見が受け入れられるんだということは、世界に受け入れられるという感覚に近しい。

この感覚を中学生の間に持たせてあげたい。
それが彼らの人生を開くとそう信じてる。

生徒が引退した日にこの曲聴くと最高に泣けますよ。走りたくなる。

さーて、明日は一年生大会。
また成長に心躍らせそうです。
じゃあまたね。


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