今の若手の描く作品に指摘したいこと

これは、単純な話。
世界を知らな過ぎる、というか、作品から世間知らずがバレるようではだめだという事。

というのは、例えば、とんでもない邪悪なキャラを書こうとした時に、結局、自分の知識や想像力の範囲を超えられてないんだよね。

人間の想像力ってのは、今まで見聞きした範囲のものを超えるのがなかなか難しいんです。

だから、自分が吐き気を催すほどの、スーパーえぐくて、卑劣卑怯クソド外道野郎ってのを文章の上で登場させても、何か今一つリアルに書き込めない。

実際にそんな奴がいて、そんな奴をモデルに、そいつの行動を参考にでもすれば、読んだ奴も、うっわー、こういうのマジでキッツイみたいなのを、読者に感じ取らせるのは簡単なのだが。

中々、これまでの学校や人生の中で、そのレベルのスーパークサレ外道ってのは、相当な毒親だの、エグイいじめっ子でも出会わない限り、まず物語の中に登場させられないし、させても「うーん。これ、そんなに悪いキャラでもないじゃん・・・」みたいなことになる。

これっていいことなのか悪い事なのか分かんないんだけど、今の大人は、10代位の子に、無条件レベルでとことん優しくて甘い人が増えているんだよね。だから、悪い奴に出逢うって確率自体が少なくなってて、悪いキャラ書いても、リアリティに欠けてる気がしてる。

せいぜいが、東京とかの大都市を離れた辺りだと、学校でいじめ食らったとか、ネチネチした教師に会ったとかレベルなんじゃないかと思う。大体、エグイいじめっ子って、むしろセコイ性格の悪い雑魚キャラみたいなのばっかで。問答無用で、俺が頂点を極めつくす悪の塊みたいなのがいないのよね。

何かどこかにいい人感が出て来たり。それって、作者自体がいい人を装ってるだけのクサレ外道な性格を中に秘めてる位でもないと、意外に作り込めないものだったりする。

心底の邪悪というものを知らないから、邪悪を書き込めないし、ともすれば、どこまでいっても、書いた作者の世間知らずがバレてしまう。

その話を、自分の音楽教えてる子にしたら「なろう系でよく言われる、作者より頭いいキャラは書けないとかそんなやつですね」と返してきた。

結局は、そういうことなのだ。

登場人物の口ぶりやしぐさといった、そういう所をうまく見せながら、さも、そういう人物がそこにいるかのように感じさせるための「読ませる文章」を書くのは難しい。

くどくなりすぎてもいけない。けど、あまりに文章が短すぎても、違いをうまく伝えることは難しい。

いろんな角度から自分の文章を眺めて、自分の表現に過不足がないかを、常に自分で厳しく批評する位でちょうどいい。

読んでて何か・・・

「これ、全員、登場人物の喋り口調と性格が同じやんけ!」


ってのは、老害と言われる世代の俺にだって気づく事なんだよ。

だって、君らと同じゲーマー世代で小説や漫画を読みまくった子供の「ファースト・ジェネレーション」が僕らなんだよ。

でね、小説にかこつけて、ここに書きたくなったのは、実は音楽の歌詞とか、全ての表現活動の中の人物が、何だか最近、みんな同じようになって来てねか?

というのを、少しだけ残念に思ってて。

実は、太字の部分なんてのは、音楽にも共通する問題点だと思ってる。

表現の難しさってのは、「様々な”違い”をキチンと書き分けできて」かつ「表現の内容に過不足がない」ことなのだ。

好きなマンガのストーリーを少しだけいじってみただけの事なんだなってのを、読む前から相手に悟られてしまうようなってのは、僕も手渡されても、読みたいと思えるか・・・というだけのことであって。

作品のアイデアはいいのかもしれないけど、文章の言葉やキャラクターが似たり寄ったりすぎると、幾らなんでも応援したくても応援のし甲斐がないなぁ、とか、様々思っちゃうだけ。

僕らは否定したい訳じゃないんだ。そこが直ったら、もっと面白くなるかもなぁ、と思ってたりもする。そこで君の腕前が凄ければ、おお、若手に見どころのある面白い奴が出てきたって、ファンになるんだよ。

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