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“人に優しく“はタダじゃない。

みなさまこんにちは!RENです。

人に優しくし続けるというのは、とても難しいことです。
だから人に優しくあり続けられる人は、とても素敵で苦労人なのです。

アメリカ人の方は、店員さんに対してとてもマナーや受け答えが素敵な方が多いです。
意外と横柄な態度を取るのは圧倒的にアジアの国の方々です。(日本人含む)

なぜそうなのかというと、アメリカ人は“お店側からしっかりとしたお食事を提供されたいから“という感覚を持っている人が多いそうです。

チップなどもマナーとしてありますが、店員も客も対等な立場であることをよく理解しているからです。
つまり横柄な態度を取れば、食事に唾を仕込まれる可能性も考えられる。

そのため、店員さんには極力愛嬌よく接する方が多いのです。

対する日本では間違った意味の“お客様は神様“が浸透しています。対人間ではなく、客と店員という上下の位置付け、価値観ができているのです。

日本はチップ制度がありません。つまりどのお客様にも平等である対応をすることこそ、日本の接客の美意識として根強いのです。

けれど客の対応を“チップ“として例えたらどうでしょう。
横柄な態度をする人にはチップをもらうどころか、マイナスです。
そういう人には雑な対応をしたくなるものだし、少しのミスや態度も“こいつも態度が悪いからいいや“という気持ちになる可能性もあります。

良い挨拶や、感謝の気持ちを述べてくれたらどうでしょう。
店員側も笑顔になるし、良い対応やプラスアルファーの対応をつけてくれるかも知れません。

※逆にいうとお店側の態度だけが悪いこともあるので、こちらも置き換えて読んでください。

こんな風に“良い接客をするのは当たり前だ“という感覚が根付いている日本に対して、私はずっと疑問でした。

相手はお店の人かも知れないけれど、人間でもあることを忘れがちなのではないだろうかと。お客様に対してもそうです。お客という立場だけではなく、そもそもは人間なのです。

人に優しくすることは当たり前のことではありません。
その人の素敵なエネルギーをもらっているのです。

お店側が設定する“良い接客“や“常に笑顔“はとても良いことですが、それを周囲が“当たり前“と思うのは違うのです。

これは人間関係においてもそうです。

常にご飯を作ってくれるのは親だから当たり前。
子供だから常に親を好きでいてくれるのは当たり前。
男性なのだから女性に奢って当たり前。
妻なのだから、家事育児の負担が大きくて当たり前。

全部“当たり前“ではありません。

その当たり前という感覚を持っちゃダメだという感覚すら薄っぺらいのが人間です。その人の感情を度外視して“当たり前じゃない“という部分にしかフォーカスしないからです。

その行いには歯を食いしばるような思いがあったり、腰痛を堪えるような労力があったり、心が疲弊しながらも笑顔を作っていることもあります。

そういう一人一人の人間の“感情と労力“をしっかり見つめることが大切なのです。

優しくて当たり前ではなく“雑“なのが本来当たり前です。
優しくしてもらえることは、ありがたいことなのです。

そして、その笑顔を向けてくれたこと。褒めてくれたこと、手伝ってくれること、何かをしてくれて助かったこと。そばにいてくれること。共にあり続けてくれたこと。様々なことには色んな感情がある。

あなたにもあるように、相手にもある。

だから、そういう感情を乗り越えて、そう接してくれる人に“感謝“なのです。

今日も笑顔で挨拶をしてくれるあの人。
今日も周りのために頑張って働いてくれるあの人。
今日も誰かのために素敵な情報を提供してくれるあの人。
今日も誰かのために誰かを叱りたくもないのに叱るあの人。
今日も悲しい気持ちでいっぱいなのに、笑顔を向けてくれたあの人。


優しさはタダじゃない。
それでも優しいあなたに、周りに、感謝の気持ちを。

REN

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