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持ちつ持たれつの世界。

みなさまこんにちは!RENです。

今回は、前回の【自己中心的な言動とは】という記事の補足になるかなと思うようなことを書いていきたいと思っています。

以前、一歳の赤ちゃん子育て真っ最中のAさんが、同じマンションに住む自分より小さい赤ちゃんを育てているご夫婦に対して愚痴を吐いていました。

そのご夫婦、“赤ちゃんを放置したまま出掛けている“というようなトラブルがあったそうで、配達員の方が気づき、通報騒ぎになったそうです。それに対してそのご夫婦の旦那さんが謝罪に来て、赤ちゃんのお昼寝は邪魔されるし、夜は育児で忙しいのに迷惑だった。謝罪もなぜ奥さんじゃないのかという愚痴でした。

その話を聞いていて、とても疑問だったのは“何故、一番最初に育児ノイローゼを疑わないのか“ということでした。そのAさんとその奥さんはLINEも交換している仲だからです。

集合住宅に住んでいる以上、近隣の騒音やトラブルとは隣り合わせで生活しなければなりません。もちろんペット飼育可能のマンションなら、犬や猫の鳴き声はもちろん、マンションなのだから当然赤ちゃんなど、制御できずに騒音となるケースもあります。

けれど、これは致し方がないことなのです。
嫌なのなら戸建てに住むか、そういう人が一切住んでいない場所に住むか、完全に防音のマンションに住むしかありません。

そして、自分の子供が大きくなった時、走りまわない子供はほとんどいないでしょう。そうなった時“自分も周りに迷惑をかける可能性がある“と思えば、一回のお昼寝が邪魔されようと“自分もそういう時があるかもしれない“と考えると思います。

けれど、これがある程度大きいのなら別です。
以前、私が赤ちゃんを寝かしつけて一緒に寝ていた22時頃、同じ階に住む高学年の小学生たちがスポーツの習い事が終わり、その階の通路で走り回ったり、叫んだり、笑ったりしていました。赤ちゃんは起きなかったのですが、あまりの騒音に、注意しにいったことがあります。

昼間なら放送が入ったり、パトカーのサイレンや宣伝カーが通ってうるさいことも致し方がないことです。ですが、夜は周囲の人々が寝静まっているということを考えなければなりません。

これが3歳ほどの子供であれば、スルーしてしまうと思いますが、もう10歳を超えた子達だったので「ごめんね、赤ちゃん起きちゃうからもう少し静かにできるかな」と言いました。

すみませんでしたと一言行って、その子達はマンションの下へと降りていってもらえたので、赤ちゃんが起きることを防げました。

これが昼間であれば、スルーしていました。
私は、基本誰かがトラブルを起こした時は“持ちつ持たれつ“で、気にしないことがほとんどであるし、昭和はそんな時代だったと聞いています。昭和のスタイルを全て肯定するわけではなく、子供が多かった時代はみんな寛容的な考え方の人が多かったのではないかと思っています。

マツコデラックスさんはお金がない時代で、治安の悪いアパートに住んでいて、近隣のあまりにも酷い騒音に悩まされていたそうです。
「神様どうかお願いします。ここから出してください。お仕事をください。なんでもしますから」と願ったそうです。

そしたら仕事がいくらなんでも来すぎだと笑い話にしていました。

環境を変えたいなら、自分が出ていくしかないし、出ていけないのなら、多少は“仕方がないことだ“と思うしかないと思うのです。

教室で嘔吐する同級生がいても、それを真っ先に片付けることもありました。
汚いと避けてしまうことは簡単だけれど、自分がいざそうなった時、そうされたら“傷つく“とは思わないのか私は周囲の人に疑問を持っていました。

また別のパターンでは、不妊に長年悩んでいる方が2人いました。なので、なるべく子持ちの人たちは子供の話をたくさんするようなことはなかったのですが、不妊側のAさんがご懐妊になり、無事出産となりました。
Bさんはいまだに不妊治療をしています。ですが、AさんはBさんのことは気にせず、ずっと自分の赤ちゃんの話をします。話を戻してもまた赤ちゃんの話をし、写真を載せています。

根本的にBさんは旦那さんの希望で妊娠できるように不妊治療を行なっていますが、子供がいるに越したことないと思って治療を受けられているので、子供が生まれて嬉しい気持ちはわからなくはありませんが、あまりその話をしすぎないというのは、考えればできることだと思います。

私は“自分がよくて他人はだめ“が一番嫌いです。
だからこそ自分にも意図してではなくても“やってしまうかもしれない“と思うことには寛容的に捉えています。

“人の気持ちが汲み取れない“人は“自分にだけ甘い“というところがあります。
なので私は“自分に一番厳しくあるべきだ“と自分に思っているのです。

私は子供たちが大きくなろうと、どんな道であろうと、一歩家の外を出たら、手を離しません。一瞬離してもすぐ手を繋ぎます。どこかに座らせるまで当たり前のように、その動作をおこなってきました。

ですが、ものすごい繁華街の車通りが多い中で、4歳くらいの男の子と5歳くらいの女の子の子供たちを連れた女性が手を繋がずに歩いていました。
一歩体を傾ければ、車に持っていかれるところです。

ですが、男の子はしっかりとお母さんの傍を離れずに歩いていたので、こういう時は“私より子育てが上手な人なんだろうな“であったり“いい子だな“と思って、終わってしまいます。

人が自分の育て方とは違うからと責めるのは傲慢だと思うし、だからと言って、自分は辛かったけど相手は辛くないんだろうと思ってしまうのは、傲慢です。逆に“自分は辛くなかったから、相手も辛くない“と思うことも。

だから私の指標は“自分には厳しく、相手には甘い“でいいのです。
相手が失敗した時は“その人の学び“だと思うのが、一番いいと私は思っています。

そんな風に“持ちつ持たれつ“の感覚は持っていますが、路上に唾吐きやタバコの吸い殻ポイ捨て、歩きタバコや歩道を全速力で走り抜ける自転車には、全力で軽蔑します。(衛生的にN Gなのと、大怪我の可能性があるので)

そんなに唾を吐きたいのであれば、唾を吐くようのペットボトルでも持って歩いていたらいいんじゃないかと思っています。

路上はトイレでもゴミ箱でもないのです。

でも意図してではなく、体調不良で路上で粗相をしてしまうこともあると思います。こういう時は“仕方がないこと“であるし“持ちつ持たれつ“精神です。

こういう話をすると、世間とのズレを感じることがたまにあるので、これは私の感覚でしかありませんが、世の中がもう少し“持ちつ持たれつ“であったり“自分に厳しく相手に甘い“もしくは“自分に甘くて相手にも甘い“であればいいなと思っています。

REN

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