どうすれば“自分を完璧に特別視“できるのか。(2023年2月19日修正更新)


みなさまこんにちは!RENです。
12月10日のライブ配信が終わって、私に露呈した課題が“どうすれば人は自分を特別視できるのか“をうまく説明できるようにするということです。

“めちゃくちゃ魅力を上げてしまう“

これが一番難しくて、一番簡単ではあります。

なぜかというと、人は痛い経験も良い経験もしていくことで魅力的になるので、時間がかかるけれど、その分魅力的になることが可能です。
そうすると自然と褒められたり、結果になったり、好かれたりする機会が増え、自分自身にある程度自信や特別感を抱くことができるからです。

では、それが難しい人に一番最適なことは

まず“今の現状の豊かさを本来の意味で知る“ということです。

自分より生活水準が下の方々を見ていたら、キリがない世の中ですが、それが“真理“なのです。

愛してくれる人がいる。愛してくれるペットがいる。愛している存在がいる。
まずどれかに当てはまれば、それだけで環境としては十分に豊かです。

私には愛してくれるパートナーがいるし、昔からの親友がいて、そして兄弟がいます。そして親権は渡してしまったけれど、子供たちを愛した日々の記憶もしっかりとある。

それだけで、十分に、贅沢なほど人間関係は豊かだと思っています。

生活水準はどうでしょう。
贅沢な牛肉は買えないけれど、ブラジル産の鶏肉くらいなら買える。貯金はないけれど、毎月やり過ごすことはできる。

これだけでも豊かだと思います。

どうでしょう。
あなたは今豊かな現状にありますか?

生活保護も受けられず、仕事もなく、衣食住がままならなければ、環境自体は豊かとは言えないかも知れません。

けれどそうでなければ、今最低限生きられている喜びをしっかりと知ることは“転機“や“好転の流れ“を掴むのに絶好のチャンスです。

幸せを本来の意味で理解している人は、幸せな気持ちで生活できるから。

それなりの生活に満足している人は、次のステップを踏みやすくなります。本当に足らない部分が明確になりやすいからです。

あれもこれも足らない足らないと考えれば、余裕がなくなります。
余裕がなくなった人は、心にも余裕がなくなり、他人にも自分にも厳しくなってしまったり、自分のせい、他人のせいと心をキリキリさせてしまう。

こういったことが起こると、魅力はどんどん下がるのです。
けれど、余裕がある人は自分にも他者にも優しい。そういう人は本来の内面的魅力を発揮することができます。仕事にも人間関係にも良い魅力は発揮できるので、好転の流れに入れるのです。

では“特別視“について話を戻します。

豊かさの話をした時“私はまだそこまで最低な生活を送っていないな“と思われた方は、それらを手に入れた自分は“特別だ“と思うベキなのです。

当たり前は当たり前じゃないから。

五体満足であること、家族みんな仲良く過ごせること、誰かから恋愛対象として愛されること、ペットに懐いてもらえること、食べたいなと思ったものが高級品じゃなくても食べられること。

そういうことの全ては“当たり前じゃない“のです。

極楽とんぼの山本さんがメディア復帰する時に、加藤さんは“当たり前じゃねえからな!!!“と怒鳴ったと思います。

仕事ができる環境、貯蓄がある環境、人間関係が円満な環境。お世話をしてもらえる環境などは本当に当たり前ではないです。

あなたが今まで築き上げた立派な物事。あなただからそこの地位に君臨することができたのです。それはあなたの魅力があるからです。

実家がお金持ちだったとしても、ご自身でそのお金持ちで裕福な家庭だからこそ、様々なことを生かして来たのであれば、それを大人になって使わない手はない。それらは“すでに才能“なのだから。

私は今余すことなく全ての人生あった出来事や環境を、今のお仕事でフル活用させていただいています。何もない貧乏な家に生まれたし、過去には悲惨な目にばかりあってきました。だから毎回何かしらの成功を手にした時は、自分には“努力する才能“があったんだと思うようにしています。
これらは私がやってきた成果からくる自負です。

先天性だろうが、後天性だろうが、人は何かしら特別なことを持たされているのです。みんながみんな味わえることではない。

“無い物ねだりをすると、自分を豚に真珠にする“

余すことなく自分という人間を使っていくことこそ“特別視“への近道です。
他人を見れば見るほど、違う人なのだから、自分に使いこなすことも、模倣することも難しい。

ならばどうするか“自分が持っているものを全てパワーに変えて幸せになること“です。

私には好きなアーティストや芸能人の方々がいますが、お顔やファッションは真似をしたことはありません。
私がいただくのは“マインド“です。

マインドというのは姿形が違くても、近づけることは可能なのです。
けれど自己啓発本状態にはしない。
前向きな姿や言葉を聞いて、自分も頑張ろうと活力にします。

そんな私は、自分を完全に特別視できるようになっていません。
まだまだ至らないと思っているからです。けれどそれを“行動しない理由“には変えません。ネガティブになって落ちこんだままにはしません“

好きだと思ってくれている人たちがいるから、自分で自分を完全に好きになることを諦めたくないのです。

“より素敵な愛を大切な人たちに渡せるように、そして自分自身のバツマークを一つでも減らせるように“と考えているし、“自分のことをまだ大好きにはなれていないけれど、好きになる努力はしたい。そのために自分はいつでも過去の自分を超えていきたい“と思っています。

そして多分その思考は、一生終わらないかも知れません。

なぜなら“人を諭す人は、誰よりも謙虚でなければならない“のだと思っているからです。

“自分なんかが“という気持ちは一生拭えなくてもいいとすら思っています。だから人は高みを目指していけると感じているからです。

ネガティブな“自分なんかが“ではなくて“よし、ここまでは頑張った。次行ってみよう“そんな感じの“自分なんかまだまだ“です。

自分をもっと好きになれたらいいよね。そのために卑下はしないよ。
だって大切な人たちが私を大切にしてくれているから。
その想いは否定したくないからね。

それくらいの気持ちで生きています。

私は、皆様が特別であること。多分皆様より知っています。
一人一人モブだと思ったことは一度もありません。
誰しもがそれぞれのお花を抱えているんです。
素敵なお花です。

私はコメントを頂く度に、その花ひとつひとつを束ねている感覚になります。
素敵な花束もらっちゃったなといつも思っています。

みなさま一人一人個性的だから、いつもコメントしてくださる方も、たまにコメントしてくださる方も、覚えています。

私にとって既に1人1人が特別です。

だからいつか皆様が、自分自身を特別視できなかったとしても、自分自身を“卑下“することなく、愛に疑うことなく、感受できるような生活になれたらいいなと思っています。

REN

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