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何かを加えるのではなく、そこから何かを取り除くという発想のちからー公園の散歩で見つけた発明ー

二輪の自転車を乗り回す前、僕は4輪車に乗っていた。二輪車だと転んでしまうから、二つの補助輪を後輪につけていた。

タイヤも小さいからあまり進まないわけだけど、ガラガラと音を響かせながら一生懸命漕いでいたことを覚えている。僕は、なんだか人より早く漕げる。そんな気がしていた。

確かに子供のことは補助あり自転車のおかげで、正規の二輪自転車に乗れるようになったとは思う。しかし、補助輪を外し、いざ本番の二輪車に乗ってみると、別次元の難易度に直面したことを鮮明に覚えている。安定していたはずの重心が、左右にコロコロと入れ替わり、そして転ぶ。

「補助ありの頃の楽さは何だったんだろう」なんて素朴に絶望しながらも、転び、転び続けていた。あの時の僕にとって、「補助あり自転車」の延長線上に「二輪自転車」はなかった。後者はもはや全く別の乗り物であるかのように思えた。

補助輪・ペダルなし自転車との公園での出会い

僕は最近、驚きの商品を見た。その乗り物の延長線上に、確かに「二輪自転車」があると思えるものだった。それは補助あり自転車とはまた違う、二輪自転車の練習用の乗り物だった。

最近は、電車にのって遠くへとかは当分行ってない代わりに、毎日散歩している。たまに大きな公園を通ったりするのだが、そこで上記の驚きの自転車を見かけたのだった。

公園の小さな子供達は僕がのっていた「補助あり四輪車」ではなく「補助なし二輪車」にのっていたもう一つ重要な違いがある。それは「ペダルなし」であることだ。

ペダルを漕いで進む事は、初めての二輪車の時バランスの取りづらさと相まって
難易度を二段階上げる。バランスをとること自体難しいのに、さらにペダルを漕ぎ続けないといけないというのは、至難の業だ。
ペダルを漕ぎ続けないとバランスは取れないことは分かっているが、怖くて漕ぎ出せない。

そこで、元からペダルなしにして、重心のバランス感覚への信頼感は、すでに養っておこう、ということを狙った商品なのだろう。この発想は天才的だと思った。

この商品は、従来の補助輪自転車のように、あるべき形に「補助をつける」という発想ではなくてあるべき形から「要素を取り除く」という発想で作られたのだ

2007年に誕生した補助なしペダルなし自転車、『ストライダー』

調べたところ、僕が感動したあの自転車は2007年からあったらしい。僕が補助輪自転車に乗るような頃はまだなかったとはいえ、13年も前からあったのに驚いた。

2007年にアメリカで誕生して、その2年後の2009年に日本に入ってきたらしい。

自分の子供の為に市販の自転車を改造してつくったのがストライダーの始まり
ストライダーの生みの親、ライアンは元々オートバイのディーラーをしていた両親の元、小さい頃からオートバイに親しんで育ちました

彼の長男が2歳になった時、補助輪つき自転車を買い与えたのですが2才の子どもにはまだペダルもこげず、重すぎてコントロールすることもできず、全く乗ることが出来ませんでした。
そこで彼は「そもそもペダルなんていらないんじゃないか?」と考え出しました。
そこから彼のガレージで試行錯誤が始まります。

ペダルやブレーキといった、子どもにとって余分なものを全て外しただけなく
フレームの余計な部分は切って再度溶接し足つき性を良くし低重心にしたうえで徹底的に軽く、小さな子供でも扱えるようにしました。
もちろん当初は商品化などまったく頭になく、ただただ、子どものことを想い「軽くシンプルに」と追求した結果がストライダーのデザイン原型になっています。

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2015年で100万台もうれていて、今や販売台数が300万台を突破したようです。

すごい発想だなと感動した奥に、こんな素敵なストーリーがあって、なんだか泣けてきますね。
この文章を読んで僕は感動した。でも多分この世に存在する多くのモノが、こんな思いが詰め込まれた開発者の「人生の作品」なんだろうなあと、思いを馳せた。

僕がいま文字を打っているiPadもこのキーボードもお茶が注がれているこのコップも、このストライダーと同じで『愛する誰かへの想い』が詰まっているんだろうなあと。こんな事を思うと僕の好きな「リッチマン・プアウーマン」というドラマの
日向徹の言葉を思い出す。

グラハム・ベルという男は、
なぜ電話を作った?

事実はわからない。
でも、僕はこう思う。

遠くにいる
恋人の声が聞きたかった

それか、心配ばかりする母親に
無事を知らせて安心させたかった

メールに写真を
つける機能だって同じだ

離れている人と
同じものをみて一緒に笑ったり
喜んだりしていたい

そう思ったから作ったはずだ
ITの中心には
いつも人間がいるんだ

僕らの仕事は多分

大切な人を思うことから
始まるんだ

君たちもそういう人がいるだろう
だったら、その人のために作ろう

知らないものを見る時間を取り入れることで、発見との出会いが生まれる

この記事に書いていく中で、湧き出た感情がもう一つある。それは「同じものばかり見ていても、発見はない」ということだ。当たり前のことだけど、すごく痛感した。自分の習慣の中で毎日見るような、少しだけ外にある世界を覗くことで、思いもしなかった発見とであることができる。

感染症が広がったことで、「公園での散歩」という習慣を取り入れからこそ、ストライダーから感動や学びを得る機会が生まれた。

僕にとっては、こういう小さな行動による「知らない世界を知る体験」というのは、すごく貴重でワクワクすることだ。大袈裟だが、知らない世界に足を運ぶこと、そして知らない世界に心を開いておくことを、これからも大切にしてきたいと思った。

自分の習慣からは、ちょっとだけ外にある世界に足を踏み入れるだけで、ワクワクし、時に感動するような発見と出会えるかもしれない。

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