淡々マシーンの憂鬱

仕事へのアドレナリンを喪失したという話を前回書いた。
引き続き喪失したままで、と言いつつ私の働き方は独身時代と何も変わっていない。8時~18時で預けられるデイケア+18時~22時のナニーという完全カバレッジを確保し、いつなんどきアージェントの仕事が飛んできても対応できるようにしている。携帯は片時も手放さず、金曜の夜だろうが週末だろうが休日だろうが関係なく稼働する。クライアントと上司のメールは即返信、どうしても席を外す時間は事前に知らせ、締め切りは厳守する。ボールは極力持たない。アンダープロミスオーバーデリバー。どれも基本動作。社会人になり叩き込まれ、これ以外の働き方を知らずにここまで来てしまった基本動作。

職場復帰後、すべての理不尽を正当化していたアドレナリンという魔法が消えて、至極当たり前の欲求が自分の中にあることに気がついた。「スケジュールを立てたい」「寝たい」「土日は休みたい」「夕飯家族と食べたい」「携帯見なくていい時間が欲しい」こんな常識的感覚が自分にあったことに驚く。じゃあなぜこの仕事えらんだのよ。

ワーカホリックな会社組織で長く生きていく人は大きくアドレナリン王か淡々マシーンにわかれると思っている。
アドレナリン王は最高だ。まわりがどう思おうと本人は幸せ。裏で陰口たたかれようが、「妬まれちゃって困るぜ」くらいでぐいぐい進んでいける。自己肯定感が極めて高いので、多少長時間労働で消耗してもすぐ回復する。この手のタイプで鈍感力まで備わっていると向かうところ敵なしだ。今組織の頭に座っているオールドスクールなおじさまたちにはこの手のタイプが多い気がする。彼らはアドレナリンと信念と自己顕示欲に突き動かされてウン十年、持ち前のエネルギーで人の何倍も働き、上り詰めてしまったワーカホリックたちだ。(同年代でも何人かこの道を突き進んでいる人を知っている。きっとそれぞれの道で上り詰めるのだろうと思いながら遠くから応援している。)

淡々マシーンのほうはというと、周りから見ていると彼らの動機はわかりづらい。基本動作が完璧に身に付き、まるで無感情で物事を処理していく。穏やかな目には微かに諦めの色が宿り、わめかず苛立たず、社内政治とかは冷ややかに見ながらもクーデターを起こすこともしない。
淡々マシーンがなぜ淡々マシーンでい続けることを選ぶかというと、それは慢性的なエネルギー不足に陥っているからなのかなあと想像する。彼らのハードスキルは高く、時にはアドレナリン王より全然高かったりするけれど、実は自己評価に歪みを抱えていたりすることが多くて、自分はなんだってできる!という根拠ない自信は全くないけれど、だいたいのことはこなせますけど?くらいのちょっと卑屈な自負があったりする。リスクを嫌って失敗しないように生きるのは、その根本的な自己評価の低さとプライドの狭間で苦しんでいるからなのではないか。そしておそらく、それぞれにエネルギーをセーブしたい何らか理由があるのではなかろうか。

と、書いていてどんどん自分が淡々マシーンよりに移行してきたことを実感する。(おまえどう見てもアドレナリン王だろ、と思う人いそうだけど。)

最近の自分の変化に戸惑ったので、もう長いこと折に触れ話を聞いてもらっている占い師さんとおしゃべりしてみることにした。この方はオカルト的な「見えます!」みたいなタイプとは一線を画した、その人の人間性やバックグラウンド、思考パターンを理解して心を読み解いた上で、少しスピリチュアルな世界との橋渡しをしてくれるような極めてスキルフルな方なので私は大好きなのだけど、彼女曰く私は現在珍しくエネルギー不足&がんじがらめで吊るされている状態だそうな。

がんじがらめから抜け出すにはどうすべきかと問えば、「抜け出せないからその状態を楽しんだ方がいいよ」とのこと。家庭は幸せそのものなんだから、仕事くらいがんじがらめで吊るされておけとのアドバイスに妙に腹落ちをしてしまった私は、今日も必死にパソコンに向かう。

誤解があるといけないけれど、決してこの仕事や組織が嫌いなんじゃない。一緒に働く上司も素晴らしく賢く良い人たちなのだ。学ぶことは尽きず、私にはもったないような場所にいさせてもらっていると思っている。でも、だからこそ、思考停止で基本動作を繰り返せば良い、というわけにはいかない。誰だって、ストレッチし続けるのはしんどい。デコボコの組織で、「もう!私がいないと何にも回んないじゃん!」みたいな優越感を少し味わってみたいな。そんな気になったりもするのだ。それはそれでめちゃくちゃ大変なのはわかってるけど、隣の芝生はいつでも青い。

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