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08.ステージ

noteを書くようになってから
鳥居れなの5歳頃には
大切なものが色々と詰まっていることを知った。

5歳当時は、環境が色々と変化していたようだが
母親はそれでも私と兄に習い事をさせてくれた

英会話教室
親戚が先生をしていたこともあり、通っていた。
記憶に残っているのは、
イラストカードを見て名詞を英語で答えるものと
クリスマスのイベントで、甘い香りのする毛糸のたてがみをつけた馬のぬいぐるみを貰ったこと…(英語関係ない…?)

空手教室
「04.最後は自分だけ」に出演してくれた、
たつやくん。のお父さんが先生をしていた空手。
私はしっかり、白帯で卒業した。
あんなに冷たい冬の道場の床を裸足で歩いたり、
拳を突き出して大きな声を出すのは、なんだか
自分が穏やかな人間ではいられなくなる気がして怖かった。兄はたつやくんと続けて、いつの間にかよく表彰台に乗るような男の子になっていた。

ピアノ教室
母のダークパープルの、
バモスの助手席で唐突に言った
「れなピアノ習いたい。」  の、ピアノ教室。
元々は兄と一緒にリトミックに通っていたのだが
そろそろピアノに切り替えても良いのでは、
というタイミングだったので私は続けることに

どの習い事も楽しい時は楽しかったけれど、
行きたくない時は本気で
今日という日よここで終わってくれ…と願った。

いちばん長く続けたのはピアノだった。
歌を歌うようになってから
(あぁ、ピアノを習わせてもらって
        本当に良かったなぁ。)
と思うことが何度もあった。

当時、自宅にはアップライトピアノがあった。
KAWAIのピアノで、母が子どもの時に購入されたものが、おじいちゃんのお家から実家に移されたと聞いた。

自分自身でピアノ習いたいとは言ったものの、
いざ習い始めて楽譜というものを見ると
はて、チンプンカンプンオタマジャクシ…
というのが正直なところだった。

習いはじめに指導してくださった先生は
コンクール志向で少し厳しい先生だった。
30分という短いレッスン時間に大きく分けて
3つのカリキュラムがあった。

運指練習、課題曲の練習、
フラッシュカード(音符の書いてあるカードをランダムにめくっていって音名を答えるもの)

細々と黙々とする、運指練習はきっと
一匹狼な私の性格に合っていたのだと思う。

小学生時代
練習を怠けた週は、課題曲の演奏に
その怠けの成果が如実に出るので、
叱られると分かりながら教室へ向かうのに
足取りも面持ちも酷く暗かった。

レッスン当日の火曜日の下校時間になってから、
ようやくトムとジェリーばかり見ていないで
ピアノの椅子に座るべきだったと後悔するのだ。
れなちゃんよ、浅はかなりけり。

1年に1度、市のホールで発表会も開かれて
母は必ず参加させてくれた。
小学生まではピアノを弾くことより、
普段は着られないドレスを買ってもらえるし、
母にお化粧をして、髪も綺麗にしてもらえるという
女の子にとって特別な、るんるん行事と化していた。

私の中でピアノは、
あらゆる楽器の中でも音がいちばん好きで
ふとした時に鍵盤に無性に触りたくなることがあったので
コンクールを目指したり、難易度の高い楽曲を弾きたい
ということはなかったけれど
ずっと続けておきたい。という感じだった。

中学2年生の時、それまで住んでいた家を引っ越した。
そのタイミングで、ピアノ教室を移ることになった。

新しい教室のグランドピアノは
鍵盤がものすごく重たかった。
初めのうちは、一週間に一度その子を弾くたびに
「 おもっ… 」と感じていた。

普段弾いている家にいるピアノと
通っていたレッスン教室にいるピアノと
初めて行くホールにいるピアノと
学校の音楽室にいるピアノと
お父さんの方のおじいちゃん家にいたピアノ

当たり前だがみんな違う。
音色も。鍵盤の弾き心地も。ペダルの踏み心地も。
けれどこんなに鍵盤がはっきりと重たいとわかるピアノは
はじめてだった。

新しく教わることになったM先生は、
それまで住んでいた家の隣にあった車屋さんの奥様で、
小さい頃からお世話になっていた方だった。

M先生は、それまで(習い事)として少し固く考えていた
〝ピアノ教室〟というものを変えてくれた。

中学生当時の私は何かのオタクになったことがなかったのだが
あの頃人生で初めてある人物のオタクになった。
日本人ピアニストとして史上最年少の12歳でCDデビューした
【牛田智大】さん。

何かのニュース番組に出ているのを、たまたま見て知った。
私より2つ若い彼の、話し方や振る舞い方があまりにも大人びていて
「なんだこの人は。」と衝撃を受けたのを覚えている。
番組が進み、ピアノを弾く映像が流れ出した。
瞬間、惹き込まれた。
嗚呼この人はピアノを弾くために生まれてきて、
ちゃんとそれを自分で見つけて、ピアノを愛して、
ピアノに愛されているんだ。と分かった。

授業中も短いあの朝の演奏が無限リピートで聴こえて
映像がずっと瞼の裏に焼き付いていて、
鳥居れなは、めでたく一瞬で彼のファンになった。

牛田智大さんの存在をM先生に話すと、次の週のレッスンの時には
M先生もまた、彼の弾くピアノのファンになっていて、
私たちは彼について語り合った。
初めて熱狂的に好きな芸術家を見つけて、好きな人に共有した時
その人も感動して、好きになってくれた。ということが私にはとても嬉しかった。

そして牛田さんのCDがリリースされるたびに、
すぐ手に入れて朝も夜も何度もリピートして聴いた。
課題曲や発表会で弾く楽曲も
牛田さんのCDに入っているものを選ぶようになっていった。
いつの間にか、ただ(習い事)として続けていたピアノが、
もっと自由に、でも確実に、もっと想いを乗せて、
こんな風に弾いたらどうなるだろう…と、
(ピアノを弾くことの楽しさ)を見つけるようになっていた。
これは、間違いなく牛田さんのおかげだった。

そしてこの頃、私は初めてピアノで自分の曲を作った。
人に聴いてもらうには不安だったし、楽譜にも起こせず、
自信がないので、これが一つの楽曲として存在していてもいいのかな
と思っていた。
でも、この話をするとM先生は
「じゃあ、わたしが楽譜に起こしてあげるから、
レッスン以外の時間に弾きにおいで」と言ってくれた。
(神様だ…!!)

聴いてもらうのが怖かったけれど、
M先生は約束通り、私の楽曲を楽譜に起こしてくれた。
そして「綺麗な曲だね」と言ってくれた。
嬉しかった…。楽譜にはたくさんのルールがあるけれど
音楽を作る時は自由なのかもしれない。

そしてM先生が「今度の発表会でこの曲ひいてみるのどうかな?」と。
そんな考えは私の頭の中に全くなかったので、驚いたけれど
M先生は、私が一緒にエレクトーンを弾くと提案してくれた。

そしてそれは現実になった。
今思えば、いくつかのピアノ教室が集まって、合同で行う発表会の場で
オリジナル楽曲を弾かせてもらえるなんて、
本当に有難い経験をさせてもらっていたな。

発表会の日が近づいて、プログラムをもらい、家に帰って開き、
【オリジナル楽曲】という項目と、
『 Memories / 鳥居れな 』
自分の書いた曲のタイトルと名前が印刷されているのを見た時
本当にやるんだ…と心臓がドキドキとした。

発表会では、自分の楽曲を弾いたが、
実は緊張であまりよく覚えていない。
ステージへ出れば、
そこにいる時間は一瞬で過ぎてしまう。
これは今でも、いつもそう。

たった一瞬のように感じるその時間のために
長い時間をかけて準備をするのだ。

高校生になり、
【ショパン の ワルツOp.64-2】を発表会で弾いた。
牛田さんのCDに入っている楽曲のなかでも一番よく聴いた。
私はピアノの発表会はいつもとても緊張していたので
毎回あまり記憶に残らなかった。
ミスタッチがあったことばかりを覚えていたりもした。

でもあの時の発表会は、
ステージの上が楽しかったのを覚えている。

2015年10月、高校2年生の最後の発表会が一番記憶に残っている。
【プーランク の エディットピアフを称えて】を弾いた。
この年の4月にカラオケバトルに出演してから、
ライブハウスで歌うようになっていたので、ステージという場所に
少しずつ慣れてきていたこともあり、
最後の発表会では、
ずっと憧れてきた大好きな楽曲に、
できる限りの想いよこの指先から乗ってくれ。
プーランクよ憑依してください。と
ピアノの椅子に座る瞬間に願うほどの心のスペースができていた。

弾き始める前、舞台袖から見守っているM先生と目があって
微笑みあったのも、昨日のことみたいに思い出せる。
ホールの真ん中に置かれたグランドピアノの前に座り
スポットライトが当たる。
いつも通りに一瞬で終わってしまったけれど
弾ききった時「 幸せだあ 」と思った。
もしかしたら声が出ていたかも……

最後の発表会では、プログラムに【オリジナル楽曲】ではなく
【弾き語り】という項目が追加されていた。
私は割と好き放題にやらせてもらっていたのだと思う…笑
ピアノの楽曲とは別で、ギターの弾き語りをさせてもらった。

プログラムが終了して、最後に写真を撮り、先生に挨拶をして。
私の習い事は、これにて終了した。

帰り際に、どちらかの教室の生徒さんの
ご親戚の方が、母と私に声をかけてくれた。
「娘さん、素敵ですねぇ。
  ピアノもお歌も、表現が素敵でしたねぇ。」
とてもお上品な白い髪のおばあちゃま。
という感じの人だった。
会ったこともない私に、
もう会うことはないかもしれない私に、
わざわざ声をかけてくれたことにも、
〝表現が〟と言ってくれたことにも、
温かい声の温度にも、涙が出そうになった。
あの時のおばあちゃん、ありがとう。
お陰様で、鳥居れなは今も歌っています


11年間のピアノとの日々を思うと、
初めのうちは不真面目だったなと思う。
自分が欲しがったのだから、
もっと最初から向き合えばよかったな。
時間は巻き戻せないので、
私はここからの人生でもっとピアノを好きになろう。
でも、習うのをやめるまでにピアノの楽しさを知れてよかった。
M先生、牛田さん、お母さん ありがとう。

ステージへ出れば、
そこにいる時間は一瞬で過ぎてしまう。
これは今でも、いつもそう。

たった一瞬のように感じるその時間のために
聴いてくれる方へ、
その音楽をより大切に届けるために
長い時間をかけて準備をするのだ。

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