「翔べ! 鉄平」  11

「五、四、三、二、一、ゴォ(Go)!!!――――」

 その力強い怒鳴り声に鉄平はその場で膝を曲げ、腰を引いてしまった。飛行機が細かく左右に揺れる。龍宮少尉は何も言わず眉に力を入れて鉄平を見守った。

「どうした!」

 振り返って怒鳴る猪俣の問いかけに鉄平が答えた。

「すみません! もう一度、お願いします!」

 猿田が食いしばった白い歯を見せて笑顔を鉄平に投げる。鉄平の後に続く三人真剣な眼差しを向ける。

 飛行機が大きく旋回し、左右に揺れる。

 再び飛行機が安定した。

「烏山! 安心しろ! 俺も後から行く!」

 オオョ!

 龍宮が奥から励ますと熊沢と犬飼も励ます。

「滑走路上空、十秒前!」

 猪俣が後ろを振り向いてここぞとばかりに大きな声を張り上げる。鉄平は再び立ち上がった。

「烏山鉄平、四等兵!」

 鉄平は大声で名乗り後ろの藤倉博士を振り返った。博士はいつに無く真剣な表情で頷いた。
 龍宮少尉も頷いた。
 猿田が数える。

「五、四、三、二、一、ゴォ!」

「烏山四等兵! 飛びます!」

 鉄平は目を瞑って左足を空に出し、右足で機体を蹴った。

 頭を伏せ両腕で顔を覆う。膝を曲げて蹲る姿勢になった。

 体が中に浮く。 

 落ちる。

 金玉が体にめり込む。

 エンジンの吹き出す気流に揉まれ、風と空気と重力に揉まれて腰から落ち、逆さまになる。

 体が横に傾く。

 突然体が逆戻りして持ち上げられるように上に引っ張られた。

 いや引っ張られるのではなく、落下傘が開いて落ちる速度が急激に止まったのである。
 肩に重かった帯紐の絞め上げが、今度は股や尻に当てられた帯紐の緊張に変わる。

 鉄平が体に掛かる重力の変化に気が付いて目を開けると、彼は地上の町や畑と山と海と空の景色に包まれていた。

 宙に浮いているのだ。落下傘を着けた身体には、大地も飛行機も触れていない。全てから解放された大空から、人々の住む大地へと降臨するように、風に包まれて舞い降りる。

 見上げると傘が大きく開いて、体を支える紐は強く緊張して張られている。飛行機が傘の向こうに飛んで行くのが見えた。
 そして再び下を向くと、地球がどんどん迫ってくる。地上で見守る小隊が鉄平を追いかけている。
 彼らの表情が見て取れるようになったとき、鉄平は足に大きな衝撃を感じ、膝から崩れ倒れた。

 鉄平は大きな激痛も無く大地を感じた。そして拍手が聞こえてくると、突然大の上を引きずられ始めたのである。

「おい、止めてくれ!」

「おいおい、傘を畳んでやれ!」

 小隊は風に煽られ膨らんだ鉄平の傘を、風船を捕まえるように追い掛け回した。

「どうじゃ、開いたじゃろ。フェへへへッへ」

 藤倉博士の笑い声が機内に響いた。残った三人は扉から地上を伺っていた。

     *

「カラスは飛んだぞ」

 龍宮少尉は熊沢と犬飼を見た。飛行機は大きく旋回し再び滑走路に方向を合わせる。

「滑走路上空!」

「よし、犬飼二等兵! 飛びます!」

「ゴォ!」

 犬飼は扉口で数回足踏みをしてタイミングを合わせる。そして犬飼も空中に躍り出た。
 輸送機は数度滑走路上空を通過しその度に空に白い花を咲かせる。
 熊沢が、龍宮が飛び出す。

 熊沢の落下傘が開くと風向きが変わった。飛行機は北からの向かい風に飛んでいたのだが、急に南風に変わったのである。
 滑走路が終わるところで飛び出した熊沢はそのまま北に流される。滑走路どころか基地を越えて流される。
 地上を見下ろす熊沢の目の前には畑が迫ってくる。とうとう畑を越えて農家の庭先に達すると、体は葉の落ちた柿木に沈んでしまった。

 落下傘は柿木に絡まり、枝の下にぶら下がった熊沢を見つけたのは、丁度昼食を取っていた農家の人たちであった。家の引き戸が開けられた。

「なんか、空から降ってきたぞ!」

「人か? 神様か? 現人神じゃ!」

 熊沢は枝で傷ついた顔に無理に笑顔を作ると、人差し指を唇に当て静かにするように促した。

 小隊が救助に向かうと、熊沢は柿木にぶら下がって農家の人たちと冗談を交わしていたが、小隊を見つけると情けなさそうに叫んだ。

「早く降ろしてくれ」

     *

 柿木に引っかかった落下傘は、その枝に引っかかり破れるなどして損傷が大きかった。その無残な傘を見た藤倉博士と助手たちは何度も大きくため息をついたのであった。

 その日の食堂は、一〇〇一小隊の笑い声は一際大きかった。今までの不安と緊張から開放された小隊は自信を持って未来を語りだす。

「ようし、後は連続降下だ」

「陸軍もぶっ飛ぶぞ!」

「敵もぶっ飛ぶぞ!」

「俺たちもぶっ飛んで、このまま敵陣に突っ込むぞ!」

 オオョ!

 小隊はスプーンを右手に掲げた。一〇〇一の仲間たちが声を揃える。同じ夢に向かって舞い上がる。彼らは迫り来る戦争をよそに、空を飛ぶという夢を追う青春の真っ只中にいた。

                       つづく

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