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時々徒然テレビ日記第3回〜日曜日の番組から見えてくるもの その②日曜午前は政治の時間だった日の名残り

日曜日の8時以降はそのまま「サンデーモーニング」「サンデージャポン」をつけっぱなしにしていることが多いが、最近はそこまでちゃんとは見ていない。日曜午前といえば、昔からおじさんのためのニュースと政治討論の時間と決まっていたが、テレ朝の「サンデープロジェクト」が終了してからは、日曜午前は政治の時間という色は薄まった。しかし、この時間帯に島田紳助が進出したことはその後の世の中への影響を考える上で大きい出来事だったと思う。その後、政治を語る時間帯だった日曜午前は、お笑い芸人を交え、肩肘張らず、誰にでもわかるように政治を語る時間帯に変わったからだ。

お笑いしかやらないと思われていた松本人志までがワイドショーに参入。爆笑問題vs松本&東野のお笑い芸人コメンテーター時代が本格的に始まった。この頃から、勉強して努力で学歴を獲得したものよりも、知識はなくとも地頭がよく、どんな問いにも即座に気の利いたことを言える瞬発力のあるお笑い芸人の方が頭が良いのだという認識が広まり、お笑い芸人という存在が世の中のピラミッドの頂点に君臨することになった。そのきっかけとなった島田紳助は政治番組に出るためにかなり勉強したと言われていたが、その後の芸人コメンテーターは、政治に対する素人ならではの意見を求められたため、むしろ勉強を求められていない部分もある。そんな番組はもうバラエティなんだか、報道なんだかワイドショーなんだかよくわからない。現在、紳助の子分とも言える松本人志はすでに番組をやめてしまったが、お笑い芸人がコメンテーターとなる風潮はしばらく変わらなそうだ。

 午前を過ぎて、昼ごはんの時間帯のテレビは、まだおじさんのための時間という名残があって、「テレビタックル」はゴールデンからここに移動してきた。しかし、TBSはガッツリおじさんな「噂の東京マガジン」をやめて、13時に「さんまとマツコ」を持ってきた。この番組、当初サザエさんの裏に編成されたが惨敗。番組内容が迷走したのもあるが、そもそも「さんまとマツコ」は子供向きではない。おばさんやギャル向きだ。子どもが見る夕方はあり得なかった。案の定、おばさん枠の昼下がりに持っていったら定着。内容も安定してきた。50代の私は、この「さんまとマツコ」を録画しつつ、チラチラテレ東「鑑定団」の再放送を見ながら、ご飯食べたり、食事準備したりしている。

こうして、日曜日の私のテレビを中心にした生活を振り返ってみると、いまだ私は、かなり昭和から平成初期のメンタリティで生きてるなって思う。そもそも、テレビについてこれだけいろんなこと考えてるだけでも、既に昭和平成である。このところ、同世代の友人と話していても、うちもうテレビないからとか、最近あまりつけないなあと言われることが多い。こんな話が通じるのはもはやテレビ関係の同業者だけかもしれない。

しかし、世の中への影響力が大きかったテレビについて語ることは、世の中の変化を考えることにつながりそうではある。

さっき、日曜午前の政治の時間へのお笑い芸人進出が、世の中のピラミッドの頂点にお笑い芸人を押し上げた話をしたが、それでいいのだろうか?そうしたテレビの風潮によって、瞬発力はないが、じっくり考えて答えを出すスローなタイプの知性が見向きもされなくなった気がする。上手いこと一言で片付けられる人が重宝され、レギュラーとなる。逆に反応が遅いことでいじめの対象になったりもしそうだ。テレビのお笑い偏重傾向は世の中にいろんな影響を与えているのではないだろうか。

テレビを見ていると、思ったよりいろんなことを考える。
既に学者が分析した世の中についての見解を本で読むのと違い、テレビ番組というのはそれがそのまま、今を表す素材だから、自分でそこから見えてくるものは何かを考えるようになる。もちろん、今のテレビが表すものは以前に比べ、世の中のほんの一側面に過ぎなくなってるだろうし、見えているのは制作者のフィルターを通した世の中なのかもしれないが、そう思いながらフィルターを剥がしつつ見ていれば、なかなかに面白い。

最近のテレビはつまらないというのは簡単だが、やはり、中には時代の風に乗り、新たな試みに挑戦している番組もあれば、今の時代ならではのテーマをちゃんと描いているドラマもある。私らがテレビを見ないで、つまんなんくなったと言ってる間に、人知れず時代の空気と化学反応を起こし、興味深い変化を遂げている番組もある。

そんな番組の一つが「笑点」だ。
テレビの前にずっといる生活になって、再び見るようになったが、これが面白いのだ。私が昭和人間だからなのか、それとも本当に面白いのか?

今、落語ブームと言われるけれど、Mー1やらR−1やら、漫才やコントの番組の勢いには敵わない。漫才師やコント師がテレビを席巻する中で、落語家の居場所は笑点くらいのものだ。漫才やコントは時代の先端をいくかの如く、不可解なナンセンスや不条理ものが増えている。しかし私の中ではそういう不条理さにちょっと飽きてきた。演者の自己満足に見えるのだ(だから、昨年末のMー1優勝が悪口漫才のウエストランドだったことはちょっとホッとした)。そういうお笑いの世界にあって、「笑点」の大喜利が逆に他と違う新しい笑いに見えてきたのだ。

というわけで、次回は今の「笑点」のどこが面白いのかについて書こうと思う。


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 テレビ制作で、今の私にやれる仕事は限られています。現状、PCで文字を書くくらいしかできません。近いうちにネットラジオなどしゃべるコンテンツも発信したいですが、体幹が動きづらく、長時間しゃべるのも腹筋を使うため、なかなか大変です。
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