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銀河鉄道999の原風景② あの奇跡の風景をもう一度

前回(「銀河鉄道999の原風景① 」)の続き。
今回は、私が帰省時JR予讃線で見た奇跡の光景の話を書く。
予讃線の変遷などは前回説明しているので、そちらを読んでから、今回の投稿を読まれることをおすすめいたします。


【絶景という神様からのご褒美】

人生において、何度か人に語りたくなるような素晴らしい絶景に出会うことがあった。
自然界が作り出す風景というのは偶然やタイミングに支配されていて、毎年一度は見る機会に恵まれるはずの初日の出とて、天候に左右され、雲一つない初日の出を拝むことができたのは数えるほどだ。天候だけではない。寝坊したとか、電車が遅れたとか、私たち自身の都合によっても絶景と出会えるかどうかは紙一重。神様の思し召すままである。テレビディレクターやカメラマンはロケ先で、「日の出待ち」や「日没待ち」をしながら、そんな気まぐれな神に祈っている。しかし神様はいつも願いを聞いてくれるわけではない。なのに、何の前触れもなく、この世のものとは思えないような素晴らしい絶景を私たちの目の前にもたらすこともある。それはいいカメラも持たず、共にその美しさを讃えあう仲間もいないような、1人の時がほとんどだ。だから、その美しさを誰かと共有するには語るしかないのである。

目で見た風景を言葉で語るわけだから、多少の表現のずれや、感動が大きかった場合は誇張もしているかもしれない。そうして、自分だけが体験した絶景は語られるたびに少し変形したり、さらに誇張されたりして、実際に自分が見た時よりすごいものになっているかもしれない。しかし、その風景に出会った時に感じた感動や心の震えは誰かに語ることでしか保てないような気がして、私は何度も何度もその風景について語るのだ。

この世に生きていれば、時に神様は奇跡のような自然の姿を私たちに見せてくれる。それはある意味、生きてることへのご褒美のようなものかもしれない。虹などはそんなご褒美うち、日常的なご褒美の一つだろう。日々に疲れて旅に出た時、たまのお休みで故郷に帰る道すがら、奇跡のような絶景に出会ったならば、その瞬間、それまでの疲れなど忘れてしまっている。あまりの美しさにポカンとしているうちに、それまでの憂さはどこかに行っている。神様からの特別なプレゼントだ。

そんな神がくれたご褒美のような奇跡的絶景が私にもいくつかある。
その中でも最も夢見心地になったのが、前回書いたJR予讃線の車窓から見た絶景であった。それはまるで、夕暮れ時に999号に乗っているような体験だった。

先日、漫画家松本零士氏の訃報を報じるニュースの中で、999の原風景が私の故郷、愛媛県の予讃線の列車にあることを知った。そして、私にも予讃線で見た印象的な風景があったことを思い出した。そういえば、この絶景のことをしばらく人に話していなかった。

私の故郷では、鉄道というものを介して、こんな素晴らしい風景が生み出され、人を感動させていたのだということを伝えておこうと思う。鉄道に乗ったからこそ、この絶景に出会うことができ、同じ場所にいても、鉄道に乗っていなければ、それは一生人に語り続けたいと思うほどの絶景にはなっていないだろう。この話を聞くことで、鉄道という交通機関の良い部分も見直してほしいと思っている。


【JR予讃線で見た絶景】

あれは私が大学生の頃だったと思う。
東京から実家のある愛媛県八幡浜市までの帰省。羽田から松山までは航空機で左下に富士山を見下ろしながら、松山からはJR予讃線で帰る。この予讃線、内陸の内子町を経由する新線が開通したのは私が大学に入学した1986年だった。特急、急行は全て内子経由となり、海回りの路線の半分以下の時間で八幡浜駅に到着できた。しかし、私は、列車の車窓に海を眺めながらのんびり帰りたくて、いつも海回りの列車に乗っていた。

予讃線は令和になった今も、松山のお隣伊予市以南はまだ電化されていない。海回りの鈍行列車(普通列車のこと)はいまだディーゼル車で、窓も開く。目の前には伊予灘のキラキラ光る静かな海。松山から数駅の間に通学の高校生はほとんど下車してしまい、その後は地元民がポツリポツリ。多くが無人駅で、乗車口で番号札を取りながら乗り込んでくる。そんな、いまだ昭和のような光景が見られる路線だ。日本の地方の路線というのはまだまだこんなところが多い。

35年前もその風景は大きくは今と変わらない気がする。しかし、国鉄民営化を控え、急に特急と急行をすべて内陸を走る新線に奪われた海沿いの路線は、一線を退いて肩の力が抜けたのか、のんびりした空気はさらにのんびりとして、久しぶりに都会から帰ってきたものにはより心地よいものになっていた。

伊予上灘駅あたりからは海が右手に広がる。夕暮れ時ともなれば、海面が金色に輝き、窓に反射して、その眩しさに、毎日その列車に乗っているような人でも、視線を車窓に向ける。そんな夕暮れ時の列車で海風に吹かれる至福。これを味わいたいために、その日の日没時刻と列車のダイヤを照らし合わせ、日没と海に最も近い下灘駅あたりを通過する時刻が最も近い列車を選んだ。

この路線の途中にある下灘駅は日本で最も海に近いホームとして知られていて(その後、海側の国道が埋め立てで拡幅され日本一ではなくなった)、その2つ手前の高野川駅から伊予長浜駅まで(高野川ー伊予上灘ー下灘ー串ー喜多灘ー伊予長浜)は、ずっと車窓に伊予灘の静かな海を眺められる。当時はまだ鉄道会社がそれをアピールすることもなかったが、2014年から、JR四国もこの海沿いの区間を「愛ある伊予灘線」としてアピール。水平線に沈む夕陽をホームから眺められる下灘駅には、日没時刻になるとカメラを抱えた観光客や鉄道マニアが押し寄せるようになった。近年は松山と伊予大洲もしくは八幡浜をつなぐ区間で「伊予灘ものがたり」という食事付きの観光列車も運行している。

このように、近年になって少しずつ海沿いを走る予讃線旧線の素晴らしさが知られ始めたのだが、日本がバブル景気に突入した私が大学生の頃には、それはただの時代に取り残されようとする過疎の風景だった。

その風景を列車から見たのは、夏休みだったかお正月の帰省だったか、記憶は定かではない。私はいつものように、日没時刻周辺に伊予上灘から伊予長浜までを通過する列車を選んで乗車した。鉄道会社が日没時刻を意識してダイヤを組んでいたのかどうかは定かではないが、その日はたまたま、日没時刻近くにその辺りを通る列車があった。私は「写るんです」(今はなき簡易カメラですね。1986年発売)を手に、松山駅から予讃線の海岸回り鈍行列車に乗った。実家のある八幡浜駅までの所要時間は2時間半。内陸回りの3倍近い。

高野川駅を過ぎると、線路は海沿いを走る。次が伊予上灘、その次がホームが最も海に近い下灘、そして串。次の伊予長浜を過ぎると、線路は一級河川肱川の河口に沿って内陸にカーブし、徐々に海は消えていく。その間でうまく日没を捉えることができるだろうか、、、。私は毎回、期待に胸を膨らませながら海側の窓際の席に座った。

今では、この路線は東京の電車のように左右両側に一列の座席が向かい合わせで設置されているが、この頃はまだ、進行方向向きに、通路を挟んで左右2席ずつの個別の座席の車両だったと思う。私は海側の席の窓を開けて、日没を待った。

太陽はまだ水平線のかなり上にいて、その輪郭もはっきりとしていた。これが徐々に夕焼け空となり、オレンジ色の太陽の輪郭も周囲の空に滲み始め、そして、ジュッと音を立てるように海の水平線に溶けるのだ🫠。風は凪ぎ、時間までが止まったようになる。そんな風景を思いながら、列車に揺られる。

列車は海沿いの断崖の端っこを走っていた。下灘駅から次の串駅を過ぎたあたりだろうか、結構標高の高い部分があり(どなたかの旅のブログには高いところで標高40mくらいとなっていました)、その断崖の縁ギリギリを線路が通っているところでは、車窓から見えるのは海と空だけ。断崖の下には海に沿って国道も走っているが、当時は道幅も狭く、走る列車の窓から崖下の国道は目に入らなかった。窓の外、快晴の日は一面に青の世界が広がり、まるで列車が海の上を走っているような錯覚に陥るのだ。

いよいよ日没時間が近づいていた。空は染まり始め、青一面だった車窓は、少しずつ金色の輝きを帯び始めていた。天気も上々、これは美しい水平線への日没が見られるはずだ。期待はさらに膨らんだ。

そして、それから何分が過ぎた頃だったろう。今ではそれが何駅を通過したあたりだったか記憶も曖昧だ。断崖が最も海にせり出した辺りだったろうと思う(これがどの辺りなのかは鉄道会社に聞けばわかるのだろうが、これまで調べることはしていない)。いよいよ太陽は、水平線の上で大きく膨らみ、ジュッと音を立てるようにその端っこが水面に溶けていき始めていた。しかし、普通の夕景と何かが違う。普通、夕陽は波長の長い深いオレンジ色に空を染めるが、どんどんオレンジ色に染まっていくと思っていた空が、オレンジではなく淡いピンク色に変わっていくではないか。ピンク色に染まったのは空だけではない。空を映す海と、水平線上に薄く浮かんでいた雲も同じ色に染まり、同じ色になった空と海が一つにつながったのだ。目の前に広がるのは一面淡いピンク色に輝く空間。ピンク色の光は列車内にも差し込み、全てをピンクに染めていた。

私は今、ピンク色の宇宙を走る999に乗っている。そう思った。

ちょうど断崖の最も高いところの端っこを走っていたのだろう、眼下には国道も見えず、上下左右、四方八方、全てピンク一色の世界を列車は走る。いわゆるマジックアワーというやつだろうか。いや、マジックアワーのように黄昏た感じのピンク色ではない。ピンク色に輝く雲の中に浮いている感じ。真っ白な輝きほど潔癖でなく、黄金の輝きほど神々しくはないが、最もしあわせな包みこまれるような空間。目の前に広がっているのは、そんな明るくて柔らかなピンクだけの世界だった。その輝きに圧倒されたのか、それとも、写真では再現できない光だったのか、その時の奇跡なような車窓を映す写真は残っていない。

風は凪ぎ、時間も止まった。
まるで、その瞬間、列車に乗る私たちだけが別世界に連れて行かれたようだった。
銀河鉄道999が連れて行く機械をもらえる星ではなく、もっと幸せな何かに出会える場所に向かう空飛ぶ列車。それは、そんな体験だった。

>>>次回に続く。

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