見出し画像

NYでの起業の先にあるもの

大学時代に旅行で訪れたニューヨークに一瞬で恋に落ち、ただただこの街に住みたいとの想いを胸に、4年半勤めた東京の監査法人を退職し、無職の学生となってニューヨークに移り住んだ時の私の最大の夢は、グリーンカード(米国の永住権)を取得し、米国での生活の基盤を築くことでした。

紆余曲折を経て、渡米から9年目の2018年の秋、当時勤務していた会社を通じてグリーンカードを取得し、ようやくその目標を達成してからしばらくの間は、長年の大きな夢が叶った喜びに包まれる一方で、この先追いかける夢がなくなった虚無感のようなものも感じていました。

そんな私が、何かに導かれるように自然な流れで小さな小さな会計事務所をニューヨークに立ち上げたのは、2022年春のこと。米国での日本企業の存在感が、日本での米国企業の存在感と比べてあまりにも薄いことを米国生活の中で身をもって感じたことが、その原動力となりました。バブル景気の頃のニューヨークを知っている友人たちは、ニューヨークのデパートで日本の曲が流れていたとか、高級ホテルの眺めの良い部屋のほとんどは日本人の予約だったと、信じられないような思い出話を語ってくれます。しかし、残念ながら、今やそんな当時の面影は微塵もありません。他の国々の勢いに押されて米国で存在感が薄れている日本企業の実態を目の当たりにし、もっと日本企業が米国で羽ばたけるように、日本企業の米国進出を支援したり、さらには、経営陣が事業経営に専念できるように会計業務を引き受けたり、そして、会計情報をもとにした事業改善のアドバイスをさせていただいたりしながら、米国進出する企業や日本人の力になれたらとの想いを持ち、それを少しずつ形にしています。

ニューヨークを代表するクリスマスツリーで知られるロックフェラーセンターを日本企業が所有していたことがあるということを知っているニューヨーカーは今やそんなに多くないかもしれません

社員は私だけ。なかばフリーランスと変わらないような状況ですが、インドにビジネスパートナーのAさんがいます。今日の記事は、Aさんとの出会いをきっかけに生まれた私の起業の先にある夢について。


一度も会ったことのないインド人のビジネスパートナー

Aさんは、私の業務受託主として、会計の作業を手伝ってくれています。前職時代に一緒に仕事をする機会に恵まれ、こうしたご縁へと繋がりました。地球の裏側のインドにいる一度も会ったことのないビジネスパートナー。A
さんの存在を友人や知人に話すと、いつも驚かれます。私自身も、まさかこんな形で信頼できるビジネスパートナーに出会えるとは思ってもいませんでした。

私が旅行でもまだ一度も訪れたことのない未知の国、インドの地で生まれ育ったAさん。メディアで見聞きするように貧富の差が激しい国で、決して裕福な家庭ではなかったそうです。インドの大学を卒業した後、現地の会計事務所に入り、なかばオンジョブの形で、仕事を通じながら簿記を学んだと言いますが、日米でビッグ4と呼ばれる大きな監査法人での勤務を含めて15年以上会計の世界に身を置いてきた私が出会った中でも記憶に残る優秀な同僚の1人です。

飛びぬけた理解力で仕事が早くて正確な上に、まっすぐな性格。一度も会ったことがないのに信頼関係が生まれるまでそんなに時間はかかりませんでした。仕事の電話の合間にたわいもない世間話をする機会も増えてきた頃、Aさんが自身の夢を話してくれました。

物価水準が低いインドの会社に勤務している限りは人生何も変わらないので、独立してアメリカ企業の仕事を引き受けて貯金をし、いずれは米国へ拠点を移したいと考えているそうです。裕福な家庭に生まれたインド人は、米国の大学に留学してITを学び、そのまま米国に残って今日の米国のテック分野の目覚ましい発展を支えていますが、そのような機会に恵まれなかったAさんは、今できることに注力しながら夢を叶えるためにと精進しています。

15年のニューヨーク生活で確信したあること

私は15年目のニューヨーク生活を迎えましたが、ニューヨークで暮らす様々な移民たちの生活を目の当たりにするうちに、あることを確信するようになりました。

それは、「教育の重要性」

日本で生まれ育った私たちが米国へ拠点を移すと聞くと、まっさきに留学や駐在を思い浮かべると思います。しかし、人種のるつぼと呼ばれるほどに多様な人種からなるニューヨークの街にやって来ている人たちは、決して裕福な国からの移民だけではありません。タクシーの運転手、レストランのお皿洗いや配達員などをしている人たちの中には、母国を逃げ出して難民としてアメリカへやって来た人たちも少なくありません。また、最近では、メキシコとの国境を越えて中南米から米国へやって来ている移民たちの多さがなかば社会問題にもなっていて、ニュースでもよく取り上げられています。彼らは、米国へやって来たことで、母国より生活状況は若干改善したかもしれません。しかし、厳しい言い方をすれば、英語力を身に付け、さらには適切な教育を受けない限りキャリアアップは見込めず、一生ブルーカラーとして低賃金で働かざるを得ないのが現実です。

大昔、ニューヨークに移住した移民が多く住んでいて、今もその面影が残るロウアーイーストサイド。遠くに高層ビルがそびえ立っているのに対して、このエリアは古き良き時代の雰囲気がまだ色濃く残っています。そんなモザイクの街並みもニューヨークならでは。

どんなに貧しくても、「教育」があれば、人生を変えることができると私は信じています。日本で教育というと、高度な教育を思い浮かべる人もいるかもしれませんが、世界の貧しい国では、いまだに識字率すらも低い状態です。以前、パキスタン出身の同僚が、自分の名前すらも書くことができない人がパキスタンには今でもたくさんいると話していました。米国の大学に留学できるような裕福な家庭に育っていた同僚ですが、幼い頃は青空教室だったそうです。

最低限の教育を受けることができて読み書きができれば、本を読むことができるようになります。貧しくて学校へ行けなかったとしても、本があれば、本から様々なことを学ぶことができます。そして、そのようにしてたとえ独学であったとしても身に付けた知識は、社会人として生きていく上で大きな糧となるでしょう。

インド出身のAさんに話を戻すと、決して裕福な家庭ではなかったものの、なんとかインドで大学へ行くことができ、大学での授業が全部英語で行われていたことから、留学経験ゼロにして、仕事で英語を問題なく使えるまでの英語力を身に付けていました。それに加えて、仕事で実践的に学んだ会計。たゆまぬ努力の成果で、私と知り合う前にも、米国企業の仕事を請け負うインドの会社での経験を積むことができていたのです。そして、そこでの経験をもとに、昨年の秋、Aさんは、フリーランスとなりました。着実に夢の実現へと一歩ずつ歩んでいます。

ニューヨークでの起業を通じて定めた私の夢

発展途上国の子供たちへの教育の重要性を説き、そうした国々に学校や図書館を建設したり、本を寄贈したりしている米国発の非営利団体であるRoom to Readの東京支部でのボランティア、ニューヨークでの様々な国からの移民たちとの出会い、Aさんとの会話を通じて、日本では当たり前のように思われている「教育」を受けたくても受けられない人たちがいるという現実を目の当たりにし、私にできることはないかと思うようになりました。私自身は大学時代に会計の専門学校へと通い始め、なんとか卒業後に公認会計士の試験に受かったことで、ニューヨークへ移住するという夢を叶えることができましたが、それは、私が「教育」を受けられたからできたことです。一方で、世界へ目を向けると、教育へのアクセスが、私たちが思っている以上に難しい状況にある人たちが多いのが現実です。貧しさゆえに満足な教育を受けることが難しい国や家庭に生まれた場合、そこにいる彼らはどうすることもできません。そのため、恵まれた環境にいる人たちが支援する必要があると思います。個人でできることには限界がありますが、教育の機会がないために、人生の選択肢が狭められてしまっている人たちがいることは忍びなく、少しでも彼らの役に立てたらとの想いをここ数年で強く持つようになりました。

そして、いつしか、Aさんの母国、インドに図書館や学校を建設してみたいと思うようになったのです。インドにはいまだ足を踏み入れたことはないものの、米国ではAさん以外にも多くのインド人と仕事をする機会に恵まれました。また、マンハッタンでインド料理のお店が立ち並ぶ、通称"Little India"と呼ばれる地域に数年住んでいた時には、仕事帰りに週に2度はインドカレーをテイクアウトしていました。私には、不思議とインドには切っても切れない繋がりがあるのです。

インド人が多く暮らすニューヨークでは、本格派インド料理が食べられるのも魅力。こちらのお店はベジタリアンのインド料理で知られる有名店。店内はインド人でにぎわっていました。きっと母国の味を懐かしんで来ている人も多いのでしょう

私が立ち上げた小さな会計事務所はこの3月で丸2周年を迎えます。まだまだスタートアップの域を出ない規模ですが、米国進出した日本企業、そして米国で奮闘しているスモールビジネスの経営者さんたちとのお仕事を増やし、会計面から彼らの事業の発展を支えるとともに、Aさんへの業務委託の機会を増やし、さらには、最終的な夢であるインドでの図書館や学校の建設へとつなげられたらと思っています。

そのためには、一体どれだけの資金が必要なのかもまだ分からないぐらいに今は夢のまた夢、という状態ですが、夢は口にすると叶いやすくなるとも言いますので、今回、ここ最近私の中で具体化したこの夢を、新年の勢いにも後押しされて、文章にまとめてみました。

私がこうしたことを思った背景には、パンデミックをきっかけにさらに拡大しているとも言われているアメリカでの貧富の差に衝撃を受けていることも影響しています。テック系を中心に大企業の経営陣たちはさらに潤う一方で、そうした企業で働くブルーカラーの人たちは厳しい労働環境の中で十分なお給料ももらえていないことは、メディアで取り上げられたりもしています。独自のアイデアで新しい商品やサービスを作り上げて会社を創業し、今日の発展に導いたことは素晴らしいことですが、そうした会社の経営陣たちは、果たして、どんなに贅を尽くしても使いきれないほどの報酬をもらう必要があるのでしょうか。一億総中流とも言われる日本で生まれ育った私は、どれだけ米国生活が長くなっても、アメリカの極端なまでの貧富の差には驚きを隠せないと同時に、疑問ばかりが浮かんできます。彼らがもっと自分とは違う境遇の人たちに目を向けてくれたら、社会は大きく変わるのではないかとすら思います。

でも、私は、私ができることから。日本企業が米国で活躍できるように会計を中心としたサポートを続けながら、そうした機会を増やしていき、Aさんのフリーランスとしてのお仕事の機会を増やしたり、さらには、インドでの図書館や学校建設のための資金作りをしていけたらと思います。皆それぞれ何らかの使命を持ってこの地球にやって来たのではないかと思いますが、今は、この目標達成が私の使命のように思えています。数年越しの大きな夢。その経過は、また追ってnoteで綴っていきたいです。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

2009年に単身NYへ渡り、語学学校から就労ビザ、グリーンカードを取得したアメリカでのサバイバル体験や米国人と上手に働くためのヒントをまとめた「ニューヨークで学んだ人生の拓き方 」がキンドルから発売中です。渡米したい方、日本で欧米企業で働いている方に読んでいただけたら嬉しいです。