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「いいじゃん」といえるところとそうでないところがあることを何とか分かってほしいものである。

歳をとったせいなのか、そもそもの性格なのか、気になるものを気になっていないぞと自分に言い聞かせてひたすら黙っているという行為を密やかに執り行うことが出来辛い。

どうしてこんなことになっちゃうんだろう。

シリーズ20を優に超える某有名刑事ドラマの過去のワンシーンであるわけだが、ポジションがある程度高い人物のデスクの後ろの壁に掛かっている扁額。書かれているのは「古轍(こてつ)」。辞書によれば、「前人の行なった通りの方法や様式。昔ながらのしかた。古の聖人の行なった行跡。」という意味である。

だから何? そう思うだろうか。

だから何?としか思わないなら、もうそれでいいのかもしれない。それでおしまい。さっさと小便をしてゆっくり床にでも着いてほしい。永遠に寝てくれていても俺は特に構わない。

さて日本や中国では本来文章は縦書きで、上から下、右から左に書いていく。当たり前だ。みんな知っている。

例えば1行に18マスあれば19マス目にくる文字は左の行に移る。

1行に8マスあれば9マス目にくる文字は左の行に移る。

1行に4マスあれば5マス目にくる文字は左の行に移る。

1行に2マスあれば3マス目にくる文字は左の行に移る。

1行に1マスしなかいなら2マス目の文字は左の行に書く。

というようなルールに従っている。

つまり、この扁額も、このルールに従えば右から左へと書かれるべきものだ(ちなみに「轍古」という言葉はない)。それが古来守ってきたもののはずだ。右から書いていって左で終わり、そのまま最後に落款を入れる。それが”普通”だったはずだ。ちなみに落款とは筆者が作品に入れる署名捺印のことだ。

しかし写真のようにこんなふうにしちゃった場合には右側に名前を書いて印を押さねばならないが、変でしかない。また、見てわかるようにこの作品には落款すらない。

どうしてこんなものまでを西洋風⁈にしてしまうのだ?それに何の意味がある?賢い人が伝統を踏まえたうえで論理的にやっているとは到底思えない。

話が逸れて申し訳ないが、この額の問題はそれだけではない。この「轍」の「車偏」を見て欲しいのだが、ここから見える限り…、ここから見える限りでは…であるが、縦線を引いて、それを左に撥ね上げてから、そのまま続けて横線を斜めに撥ね上げているようである。異論があるだろうか?

とすれば、だ。「一」の次に「日」を書いて、そして縦線に行くことになる。そんな書き順が「車」に存在するとは思えない。何のためにそんなリズムの悪い順に書く必要があるのだ?勝手にやるにしてもセンスがなさ過ぎる。なんかもう、何だかなあ、なのである。

話は戻る。
人気ドラマ「VI〇〇NT」のシーンにも同じようなものがあった。

書道教室の正月の書初めである生徒さんが書かれた「雲外蒼天」という文言が書かれた額がドラマ中にかけてあったというのでNetflixで見直してみたのだが、大使館の中の壁に掛けてあったその額の中の書がまた西洋風横書きで左から右に書いてあった。

そこでやっと以前S先生が仰っていたようにパソコンで横書きにタイプしたものを拡大プリントしたものだろうという推測に納得がいく。

パソコンでなら誰でもできるし、予算削減にもなるだろうが、本当にそれでいいんだろうか。おっさんは黙ってろ、と若い者は言うのかもしれないが、そこは黙っていられないところである。

野球解説者の広岡氏が自分が現役選手だったころの経験をもとに400勝投手の金田正一氏なんかを引き合いに出してドジャースの大谷選手や山本選手に批判的なコメントをしているのに対してパドレスのダルビッシュ選手が苦言を呈しているというような動画を見た。科学的根拠を元にしたトレーニングが進歩するなかで半世紀も前の根性論を持ってこられてもそれは若者世代も一言言いたくなるだろう。

でも扁額の書き方はそれとは違う。伝統的に守られてきたルールであって、それを違えるのは文化破壊であろう。

「いいじゃん」
といえるところとそうでないところがあることを何とか分かってほしいものである。



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