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不登校の後遺症

 中国のとある地方都市。私は今、大学院生としてそこにいる。私は思う。まさか、自分が大学院生になるなんて。ましてや、外国に学位を取るための留学までするなんて、全く想像しなかったことだった。

 マージナルマン、というやつだろうか。中学に入ってからずっと、自分はどこにも所属していないような感覚がある。いや、実際にはどこかに属してはいるのだ。属していても、それは正式なメンバーではなく、あくまでゲスト。あるいは、情けでいさせてもらっているだけ。輪の中にいても、空間の中で自分の心だけが外に押しやられているような反力を感じていた。

 大学学部では、誰が見ても「優秀」と言える成績で卒業することができた。交換留学の切符を勝ち取り、哲学等に関する研究会に参加し、サークルにも、ぼちぼち精を出していた。模範的な学生と言って差し支えないだろう。実際、卒業する時に、優秀賞に準ずるような賞状も貰った。しかしそれでもなお、自分がこの場においてのメインストリームではないという感覚は拭えなかった。

中学高校の頃は、あれだけ学校が嫌で仕方がなかったのに、未だに、自分は学校というシステムにしがみついている。

無意識に、孤独になろうとする道を選んでいるのか?
心の穴が埋まらないように、自ら外に掻き出しているのか?

毎日、決まった時間に寝起きするのが嫌いだ。

数年先まで、予定が詰まっているのが嫌いだ。

中学生の時にクラスメイト全員からもらった、「みんな君のことを待っているよ」というメッセージカードは気持ち悪くて破り捨てた。
心にもないことを、しかも直筆で書けるような連中なんだって、クラスメイトを嫌いになった。もともと嫌いだったけれど。


自分は一体何をやっているんだろう?

 学位なんか持っていたって、役に立たないことなんてわかっているのに。
ただ学業で実績を残すことで、学校という場所に自分がいる資格があるって、証明したかったのだろうか。
 大学に入ってから本来の自分を取り戻し、今は仕事も順調で楽しくやっている。そんな不登校からの回復ストーリーは巷に溢れている。自分も、そういう物語を紡ぎたかったのだろうか。学校で上手く行かなかった故に、学校に居場所を作ることに囚われる。不登校の後遺症とも言うべきその症状に、私も陥ってしまっている。

 こんな生活、もうやめよう。大学院なんて、もうやめよう。辞めてどうする?それはわからない。ただ今を楽しめるような、やっていて楽しいことを貫こう。会社に入って働いて、キャリアアップに邁進する。それは、普通に学校で生活できた人用の生き方なんだ。自分には、それはできない。それどころか、社会からの賠償金だって、受け取っていない。だからもう、きっぱり諦めて、自分だけの生き様を追求することにするよ。それが、不登校の後遺症を治療する、唯一の方法だから。


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