見出し画像

今更感に満ち溢れた話なんだけど,SNSって結局うわさ受けとった奴らのリテラシーの問題で,如何なるときも規制云々とかそういう話ではない気がするし,辞める勇気がかなり大事だと思う.

 こばやしです.あ,言いたいことは題名のとおりで,これ以上これ以下でもないんだけど.

 今回,誹謗中傷はさておき(そもそも誹謗と中傷が同じもののように扱われているワイドショーに辟易していて,そして誰も突っ込まない違和感),規制の流れにあるネットの問題.被害者である一人の命が失われたことには衝撃を受けたし,やはり真剣に考えなければなあと思うんだけど,逆に言えば死がなければ話し合われないほどの話か?とも思ってしまう.この程度の話,いや,難しいんだけど,でも人の死があるとあっけなく変わるこの世の中.

 そもそも,SNSが普及する前は友人間とか近所でしか共有されなかった噂が,奴らがSNSを使うようになったからそこで表面化するようになっただけの話で,別に根本はSNSが生んだ問題ではないと思うし,そこをSNSが0から生んだ現象だからSNSを規制すれば息の根が止まる!とする発想はいかがなものかなと感じてる.だから噂がSNS上に蔓延しているのは極めて自然だし,その中に意見の否定と人格の否定をごっちゃにするような奴とか生産性のないアンチ野郎がいることも含め自然なんじゃないかな.そこを規制するのは一種の破壊行為だと思う.換気されて空気がよくなるかもしれないけど,それって夏の学校で快適性求めて設定温度20℃にする奴による冷房病だよね.そんなわけで5月末のこばやしは言論の自由とかそういうことではない違和感をもっている.

書き込むサイドの奴にリテラシー求めるのって現実的じゃないよね,読み込むサイドがリテラシー備えればいいと思うんよ.

 そんなわけで書き込むサイドなんて人間がことばを用いている以上は自然な営みにすぎないし,それが考えによっては時代が悪くSNSというプラットフォームが使えてしまっているわけで,読み込むサイドが「とりあえずその通りだと思わない」ことにかかっていると思うんだよね.そしてうわさなんて赤の他人の価値観なのに,なぜみんなそれを一回も噛まずにその通りだと思ってしまうのだろう?と疑問に感じている.それを自己完結すると,みんな自分に価値観の軸がないんだろうなあと思ってる.ツイッターのライク数とか,フォロワー数とかはどうでも良すぎて,別に〇〇liked your tweetとか〇〇followed youとか,「へー」でいい話じゃん?誰がそう思ったか,とお前がどう思ったか,は関係ないのに,それに一喜一憂するあたり,近代教育の生産品として頑張っているんだなあと感じてしまう.

▽ 近代教育の雑談.もうこばやし的興味は薄れたので今更騒がれてもあまり反応しないけど,でも誤読して勝手に話題にさせようとしている奴が多くて辟易した.そういうとこだぜ,マジで.

 そしてツイッターで一喜一憂している奴に言いたいんだけど,まじで他人に興味ありすぎ,自分の人生を生きようぜ?って話.他人に興味持ちまくっている奴ほど他人から興味もたれないからな.確かにコロナ休校とかでツイッターにかける時間が増えた奴がいるかもしれないけど,こういうときこそタイムライン見ないのはマジで重要.暇なときは他人と比較して自分で自分を不幸にさせる.実際,こばやしは14カ月ぐらい前からタイムラインは最新から数個しか遡らないし,自分にとって必要だと感じるアカウントとか,一緒に物事進めている方々とかの通知をONにしているので,そこはかなり最適化できたと思う.「フォローされたされない外された」とかでいちいち騒ぐ奴,だいじょうぶあんまり関係ないから.タイムラインを見ないことで大切な情報を見逃すのではないか?と考えるかもしれないが,そんなことは奇跡的確率であって比較できるわけがないので,二択として見ないを選んだ.通知がきたことで奇跡的に獲得した情報がかなり役立っているし,その逆もあったかもしれないが,それは考えても無駄.

 で,これの最後にSNSのアンチコメント的な話.因みに↑のnote記事は賛否両論あって,何かと話題になっていたらしい.こばやし的には「その通りだと思います!」という意見はあまり重要ではなくて,そう思わない人の意見がすごく欲しかった.そこで意見を否定してくれることが必要になるわけなんだけど,この記事ではDMやRTなどで否定意見を送って下さった方々もたくさんいて,非常に勉強になったし凄く楽しかった(なかには誤読感満載なものもあったけど).こばやし的な考えに変わりはない.そしてアンチコメント的な奴とかそういうアカウントはいるけど,実際問題奴らはフォロワー比1〜2%くらいで,目立っているだけだという捉え方は正しいと思う.そして人の人格否定は第三者の暇人エンタメ的には楽しいものがあるらしく,そういうものが広がりやすいのはそうだと思う.人によるけど,受けとった側が意見の否定か人格の否定かはさておき,その量に圧倒を覚えるかもしれない.そういった時は気にしないとかそういう次元ではないので,さっさと辞める.これ本当に大事だと思う.だって道端で知らない人に囲まれて悪口言われまくったら逃げるでしょ?そして逃げたとして,奴らがその後それを揶揄したとしても,逃げた奴の耳には届かないのだからもう関係ない.結局,そういうときは逃げなければ何も始まらない.この考えは大事だと思うんよね.

 こういったことは感じ方は違えど考えている人はいると思うしアップデート周期もはやいので,随時更新していこうと思う.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?