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「思いがけず利他」(著・中島岳志さん)を読みました

きっかけは竹川美奈子さんのツイートでした。

本屋ともひさし さんを紹介されていたのが #ミシマガ  さん。
そのマガジンを運営されている #ミシマ社  さん。

その存在を始めて知りました。Webサイトを拝見していると、興味深いご提案が。

サポーター? FC東京を愛する身としては、興味がグッと強くなります。
加えて、ミシマ社さん、京都にも拠点をお持ちなんですよね。

2001年から数年間、何度も歩いた丸太町通りのそばに。
御所と黒谷さん(先祖代々のお墓があります)との間や。
なんか縁を感じるんです、こうしたことを知ると。

サポーター、面白そうじゃないか!と思ってみたわけです。であれば、一冊、まずミシマ社さんの本を読んでみよう、と・・・ごめんなさい・・・kindleで買ったのがこの本です。

「利他」「利己」というのはたまーに考えてみたりすることはありましたし、以前に問答 "投資は利己か、利他か?"の記事も読んでいたので、この本を選んでみました。

#Hikki や 落語から、親鸞、ヒンディー語、数学、土井善晴さん、さまざまな題材から「利他」について、中島さんのお考えが説明されています。

「業」とは、It'sautomaticなのです。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (p.32). Kindle 版.

Hikki ですね。

#文七元結#与格  もこの本との縁で出会いました。本を読んでみると、落語への関心、興味が掻き立てられます。

なかなかうまくまとめられないでいます笑

なるほどなあ、と感じられたこと。書き留めておきます。

「オススメ」は「支配」に向かう?

相手の「お勧め」を断ると、場が気まずくなります。そして、自分の思いが受け入れられなかった相手は気分を害し、徐々に「利他」の中に潜んでいた「利己」を前衛化させていきます。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (pp.85-86). Kindle 版.

「利他」行為の中には、多くの場合、相手をコントロールしたいという欲望が含まれています。頭木さんに料理を勧めた人の場合、「自分がおいしいと思っているものを、頭木さんにも共有してほしい」という思いがあり、それを拒絶されると、「何とかおいしいと言わせたい」という支配欲が加速していきました。相手に共感を求める行為は、思ったような反応が得られない場合、自分の思いに服従させたいという欲望へと容易に転化することがあります。これが「利他」の中に含まれる「コントロール」や「支配」の欲望です。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (p.86). Kindle 版.

この点、思い当たることがいろいろあります。特に息子たちに接しているなかで「これ、やっとくとええで。後でやっといて良かったと思うから」と軽いアドバイスのつもりでも、心のなかでは「必ずやっといてほしい」って思っていたりするわけです。で、息子の方が「やってない」のを知ると、腹立てちゃう、あの感覚。

利他は時に目立たないものです。しかし、誰かが活躍し、個性が輝いているときには、必ずその輝きを引き出した人がいます。利他において重要なのは、「支配」や「統御」から距離を取りつつ、相手の個性に「沿う」ことで、主体性や潜在能力を引き出すあり方なのではないかと思います。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (p.96). Kindle 版.

この指摘はそうだ!と感じました。「沿う」。それが出来ればいいんですよね。でも、難しいとこもあるな、って。

土井さんのお話も出てきます。

レシピは、素材の状態に関係なく、平均化され計量化された数値が示されています。これを素材に強制してしまうと、自然が持っているおいしさが損なわれ、調味料の味に支配されてしまいます。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (p.96). Kindle 版.

この箇所は、ちょっと違ったところに意識が向かいました。この説明になるほどと、思い、「ああ、だから、僕は平均を目指すポートフォリオを持っていることがアホらしくなったんだなあ」と気付きました。

利他の時制

発信者を利他の主体にするのは、どこまでも、受け手の側であるということです。この意味において、私たちは利他的なことを行うことができません。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (p.104). Kindle 版.

ハッとさせられました。僕が投げた何か、それが受け取られる時に「利他」になれるチャンスを得られる、ってこと。

僕のポートフォリオ、息子たちに受け継いでほしい、と感じて熱心に手入れするのは、ある意味、僕の「勝手」。それを彼らが受け取った時にどう感じるか。その未来に決まる、「利他」になるチャンスを得る。でもそこで「利他になれ、利他になれ」と願うのはもう「利己」。「彼らの役に立ちたい」とは「オヤジ、ありがとう」といってもらいたい、そういう「利己」。
彼らが受け取ることがあったとしたら、僕のポートフォリオが彼らの何かに沿えるか否か、そこで答えが出されるのでしょう。

そんな「利己」もあって良いと思うし、実際、毎日、記事をつくっているのは将来の自分の為に、というところもあって、それが結果として、将来の彼らに「沿う」ことになれば、「沿えれば」、それでええやん。発信、創作がその可能性をいくらか高めるんじゃないかな、って思ったのです。

”偶然”を感じられる想像力

自己責任についての指摘も印象に残りました。

私は、現代日本の行きすぎた「自己責任論」に最も欠如しているのは、自分が「その人であった可能性」に対する想像力だと思います。そして、それは自己の偶然性に対する認識とつながり、「自分が現在の自分ではなかった可能性」へと自己を開くことになります。

中島岳志. 思いがけず利他 (Japanese Edition) (pp.114-115). Kindle 版.

”偶然”を感じられる想像力。意識しておきたいことですね。


この本に出会うことができたのも、偶然、縁の賜物。
出会いに深く感謝です。

ミシマ社サポーター、検討してみます。


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