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コンテキストデザインの誤読 part1

 前回より投稿の間がかなり開いてしまった... 今年は良い節目の年なので発信の数は増やしていこうと思っています。今回の内容は、私が日々影響を受けているTakram渡邊康太郎さんの”コンテキストデザイン”について、その概念を自分なりにどう活用していくのか? 今現在、誤読中・整理中のものを書き記して行こうと思います。

目次
1. コンテキストデザインとは
2. 
“鑑賞 ⇨ 解釈(誤読)⇨ 発露(創作)”
3. 音楽におけるコンテキストデザイン

1. コンテキストデザインとは

コンテキストデザインとは
それに触れた一人ひとりからそれぞれの「ものがたり」が生まれるような「ものづくり」の取り組みや現象を指す。読み手の主体的な関わりと多義的な解釈が表出することを書き手が意図した創作活動である。
https://note.com/waternavy/n/nba719b704057

 コンテキストデザインについては、渡邊康太郎さんのnoteや書籍、記事などを見てもらえると一番わかりやすいかと思いますが私なりに紹介すると
 聞き手側の人が作品に触れて語り手側に自然変わっている状態は何がポイントなのか。語り手の人達が主体性と多様性を帯びる状態をデザインするにはどうすれば良いのか?そのために行うアプローチがコンテキストデザインとなります。
 noteや書籍では色々な歴史的・文化的側面からの解釈、渡邊さん自身のプロジェクトでの実例を交えた内容が記載されております。デザインを語る視点が独特でありつつ・言われてみればそうかも知れないと思うようなコトが言語化されており、ハッと驚かされつつもとても共感できる内容でした。

作品について真に語りたい欲求があるとき、人は誤読を恐れない。そこでは他者による作品と自身による解釈は一体化する。この「語り」によって、単なる即時的な「消費」を越えて、読み手は作品と新たな関わりを結ぶ。そして、その瞬間に読み手は書き手に入れ替わる。結果生じるのは主体的な関わりと多義的な解釈だ。

2. “鑑賞 ⇨ 解釈(誤読)⇨ 発露(創作)”
  コンテキストデザインでは、聞き手・聴衆者側の人が作品を鑑賞した後に、自身の経験やエピソードなどと結びつけを行い解釈して誰かにそれを語るような語り部となっていくために   “鑑賞 ⇨ 解釈=誤読 ⇨ 発露(創作)” の一連の行為の摩擦を取り除きスムーズに移行させることが大事な要素となります。
 “鑑賞⇨解釈=誤読 “の部分では、作品が一義的なストーリーの場合、解釈の余地は少なく自身を作品に投影することは困難となるが作品が不完全だったり(茶室の設計思想)、一部が欠如していたり(ミロのヴィーナス)、様々な多義的なストーリーが連なっていると鑑賞者は完成形を想像したり欠如部分を補おうとしたり、自身のストーリーと重ねるような解釈が行える。( 解釈にただ一つの正解はなく、一人一人の解釈があるため、時に作者とは異なる解釈にもなり得る意味で誤読とも呼んでいます。)
 “解釈=誤読 ⇨ 発露(創作)”の部分では、一般的に何かの創作者や発信者となる場合、そのしきいが高く大半の人が壁に感じて “解釈=誤読”のフェーズで終わってしまう。そこで次のフェーズへ行くために補助線として、作品への参加を誘うもの(オノヨーコ氏の作品)や参加せざるを得ないもの、参加によって成立するもの(七夕の短冊)などが挙げられています。
 なので、個人個人が”解釈=誤読“ができる余地が作品にあること。そして、自ずと作品の創作活動に参加してしまうような機会を作ると“解釈=誤読 ⇨ 発露(創作)”のスムーズな移行ができる。そうすると個々の“解釈=誤読”が補助線を通じて、世に小さな創作作品として表出する。表出した小さな創作作品が積み重なり、社会を形づくっていく。
 と... ここまでが、コンテキストデザインの大雑把な紹介である。

3. 音楽におけるコンテキストデザイン

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 先程、記したコンテキストデザインの要素を一度音楽の関係性に当てはめてみたいと思います。なぜ音楽かと言うと、誰でも気軽に参加しやすい創作活動だと思っているからです。毎年、新しいアーティストが自分の音楽を社会に発信する。誰しもが、誰かが作ったメロディーを口ずさみ、時に替え歌を歌ったりアレンジしたりする。言語の壁はあるもの音楽はそれを越えて、知らないところでムーブメントが起きている( 最近だとアメリカでシティポップが流行っていることなど)、また何のミュージシャンが好きだと言うことが自分のスタイルの表明にもなっている。個人個人が自ずと創作活動に参加している状態は多いと感じるので、音楽とコンテキストデザインの関係性を掘り下げていくと面白いものが見えてくるのではないかと考えております。
 この辺りの話はTakram Radio スマイルズの遠山さんの会で少しだけアートと音楽の対比させている形で触れられていました。キーワードは“イケてるコトと気軽さ”の両立でしょうか。

Takram Radio Vol.14 ビジネス/アートとコンテクストデザイン

 さて、音楽に当てはまるにあたり、まずはどんな登場人物がいるか考えたいと思います。音楽の楽譜と歌詞を作る作曲家:Songwriter, 歌詞を歌う歌手:Singer (もしくは演奏者)そして聴衆者:Audienceが関係者として登場させて見ます。先程のコンテキストデザインの要素を位置づけると聴衆者:Audienceの部分で”鑑賞⇨解釈=誤読 ⇨ 発露(創作)“ となります。作曲家が創作した歌詞や曲が直接鑑賞者に届く機会はそんなに多くはなく、大抵は歌手や演奏者を通じて音楽として鑑賞者に届く形になると思います。

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 特徴的だと思うのは、創作の一番大本:作詞作曲は聴衆者と距離が遠いと言う点、また人数比で言うと 聴衆者 > 歌手 > 作曲者 と一番数が少ない点かと思います。音楽の曲や歌詞を創作するにはスキルや時間が必要で、音楽自体の創作のハードルが高くなると感じる要因かと思います。ただ、そこの間には歌手や演奏者が入ります。まず創った曲や歌詞に対して歌手や演奏者が創作活動に参加する。そして、それが鑑賞者に届く。創作活動が階層的に連なっているように見えます。鑑賞者がメロディーを口ずさむのは、歌手や演奏者側へに近くなる行為で、作品に参加する形でもあります。替え歌を披露するのは歌手が歌ったプラットフォームに乗っ取り歌詞の一部を編集する行為で、より身近な出来事に置き換える形になり作品に参加します。

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 作曲者により作詞作曲した楽譜、そして歌手や演奏者による歌い方や弾き方、これらの重なりあったプラットフォームを活用して創作行為に参加する形が音楽の中のコンテキストデザインに関連する大事な要素だと思います。この関係性や構造が他のテーマでコンテキストデザインを活用するとても良いヒントになるのでは。と今現在感じております。
 次の記事では、この関係性や構造が更に他のテーマ( 地域芸術祭、武道、ゲームetc) で当てはめた時にどうなっているのかについて記していきたいと思います。


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