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その手から『書くが、まま』宇宙は生まれ続けている

わかりやすくて大きくて目に見えるものだけがこの世界の真実だったなら、きっと単純で狭く息苦しい。手のひらから世界までが、手を伸ばしてわかってしまうのなら、きっとそれはつまらない。そんななかで、わかり得ないこと、小さいもの、目に見えないものは、どこへ行けばいいのだろう。教室がこんなにも狭いことを、離れてみて初めてわかるこの世界では、目のまえだけがすべてじゃない。



ほんの少しふれただけでも壊れてしまいそうな情緒を湛えている主人公の少女を演じるのはラストアイドルの現役メンバー中村守里。アイドルに出自を有するとは思えないほどのはかない存在感があり、無表情のなかにいくつもの表情を持っているように感じた。

純粋さゆえに脆さを隠すことができない松木ひなのと、彼女のイノセントな輝きを無邪気にくすませていく不純ないじめっ子たち。どちらの純も、見ているのがとてもつらい。嫌悪感を振り払い、走り出した情動にまかせたイノセンスを追いかけていると、鬱屈とした気持ちを浄化するしてくれる風が吹くのを感じる。

中学生のいじめというのはよくあるテーマだが、キャラクターが抜群にユニークだ。他社との関わりが苦手で、ノートに思いを書きつける。必死にノートに書きつけるシーンが何度も出てくるが、こんな場面はいままで観たどの映画にもなかった。中村守里の、左手で直角に立てて鉛筆を持つ仕草も、衝動と激情を上手に表現できていて良いと思った。



SWANKY DOGS、盛岡市の実在のロックバンド。

この弱冠中学生の松木ひなのは、好きになったたかがロックバンドのライブを観に岩手県まで行き、自分の歌をつくってもらう。この、魂の衝迫とも言えるかのような行動力は特筆すべきである。もうこの時点で、彼女はひとまわり大きくなって、弱かった自分に別れを告げたのではないかとさえ思う。自分に自信を持ち、理解されたことに安堵した。

そして、帰ってきた彼女は走って保健室まで行く。途中、転んで、顔に泥跡をつけながら。そこで彼女を待ち受ける学校の現状もよかった。展開として、あくまで内輪での出来事でありながら彼女の世界をぶっ壊すことに成功している。

「こんな言葉ぜんぶ先生には似合わないよ!」

ひなのは「詩」である。生きていくうえで、生活の中心に言葉がある。そんな彼女だからこそ、保健室の至るところに貼られた穢い言葉が耐えられなかったんだろうな。



そして彼女は、保健室の先生である進藤有紀の手をとり、走りだすのだ。保健室を飛び出し、学校の外へ。中学校を取り囲むように気味悪く住宅が並んだ町へと、一心不乱に走り出すのだ。

この瞬間、松木ひなのが庇護者で進藤有紀が庇護される立場へと逆転している。関係の逆転である。庇護し、庇護される関係の二人は、先生と生徒という立場を超えて、友情で結ばれている。

いじめから端を発し、先生と生徒の強固で対等な関係まで持っていく脚本が素晴らしい。『家の鍵』というイタリア映画でも父親と障害児の庇護の関係の逆転が描かれたが、それに近いカタルシスを感じる。



ひなのにとっては、もうすぐ消えゆくはずの狭い世界のなかの限られたアイデンティティである。祈るだけじゃ助からないし呪うだけじゃ救われないけど、「呪い」と書いて「のろい」と「まじない」に読み分けられるように、彼女のやりかたが、いずれちいさなおまじないになるといいな。

書くことで心をうつした。心臓とおなじようにノートを抱いた。紙と鉛筆の摩擦が熱を帯びれば、言葉が走りだせば、宇宙がひろがる。息ができる、だれにも汚されない宇宙。

松木ひなのと進藤有紀の関係で、唯一対等ではなく異なる部分がある。それは、ひなのはやがて大人になるということだ。大人になって、教室の外の世界にふれて、願ってやまなかったそのひとを忘れてしまう日が来るかもしれない。

それでも“書くが、まま”、宇宙は果てしなく、その手から続いているんだ。

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