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「障がい」を理解するとは?

こんばんは! レオ・エースです。
前回は、初回にもかかわらず多くの方に「スキ」や「フォロー」をいただき、本当にありがとうございます!

同じソーシャルワーカーの方や福祉に関心のある方に読んでいただいて、共感しあえるのは素敵な事だと感じました!
今日も、皆さんといろいろと分かち合いたいと思いますので、よろしければお読みください。

つい先日、ネットで「大人の発達障害診断」というものがあり、少し興味があったので私もやってみました。
すると、「いくらか発達傾向が見られます。気になる時には受診を」という結果が出ました。

それを見た時、なんだかちょっと納得感があり、いやな気持にはならなかったのを覚えています。
実は、少し前に同僚から、「○○さんは、自閉傾向があるよね」と言われたことがありました。その時も「あ、そうかも」と思ったのです。

それがなぜかと言うと・・・、

  1. 一人でいることが苦にならない。むしろ時々一人になりたい。

  2. 予定通り事が進んでいると安心。イレギュラーなことがあると気持ちが  落ち着かなくなる。

  3. 世界の中心は自分だと思うことがある。

  4. 共感するのが苦手。

などなど、自分の心って外界に対して閉じてるよな~って思うことが多かったのです。きっとこれがもっと強くなると自閉症スペクトラム障害という発達障害になるのでしょう。

でも、ここで一つギモンが。「障がい」はよく人の生きづらさにつながると言いますが、他の人の生きづらさを理解することなど、できるのでしょうか?

見える「障がい」と見えない「障がい」

身体障害(肢体不自由や視覚)の方であれば、車いすを使用したり白杖をついていたりするので、障がいを抱えていると理解するのは容易です。重度心身障害の方も同様でしょう。その方たちは、障がいをカバーするために目に見える手段を用いているからです。
でも、精神障害を抱えている方や発達障害の方たちは、ただ見て判断することはとても難しいでしょう。それはその人たちが抱える障がいは、脳機能に起因すると考えられる精神や感じ方の生きづらさであるからです。

見える障がいの場合は、それを支える手段や仕組みを考えることも想像はしやすいかもしれません。でも見えない場合は、周りでどのようなフォローをすればいいのか、すぐには分かりません。では、どうすればいいのでしょうか。
簡単です。その方に聞けばいいのです。その方のことを一番よく知っているのは、その方自身なのですから。

でも、本当に理解できる?

私は相談支援専門員としてクライエントの話を聞く機会がたくさんあります。特に初めてクライエントに会って話しを聞くときには、その方の障がいについて詳しく聞きます。診断名や症状、どのような配慮やフォローを望んでいるか、その方が話せる範囲で話してもらいます。
でも、私は統合失調症や薬物依存になったことがないので、本当のクライエントの生きづらさをわかることはありません。できるのは、話しを聞いて想像することです。これまでたくさんのクライエントと関わってきたため、以前よりはうまく想像できるようになったかもしれません。でも「理解できる」とは、とても言えません。その方の辛さを分かったなど、軽々しく言ってはいけないとも思います。

私も少し自閉傾向かもしれないと、冒頭でお話ししました。子供のころは、クラスで私一人だけみんなと全然違う意見を言っているということもよくありました。幼いながらにも、自分は人とは考え方が違うんだと思っていました。だから、逆に自分は他人のことを理解するのはできないともおもっていました。その感覚は、今でも変わりません。きっと自分は他の人をうまく理解できないし、周りも自分を理解できないと思います。

でも、それでいいのではないのでしょうか。理解できないとして、その前提で出発しながらも、「どこまで理解に近づけるか」というスタンスでクライエントに接すればよいと思います。

大切なのは、完璧に理解することではなく、理解しようと努力し続けることです。

「障がい」を理解するよりも、「その人」を理解する

私が働いている相談支援事業所では、数名のピアスタッフが働いてくれています。そのうちの一人は自閉症スペクトラム障害で、感覚的な指示が理解できません。そのため何を、いつまでに、どのような形で仕上げてほしいか、明確にお仕事を伝えたうえで、業務にあたってもらっています。その上でさらにクライエントとの面接に同行してもらったり、自立生活援助や地域定着支援で動いてもらったりします。
彼はイレギュラーな対応が苦手なので、健常の職員よりもきっと苦労していることが多いのかもしれません。でも、彼は「この仕事は自分を理解するのにも役に立ちます」と言って笑顔で仕事をしてくれています。

実は彼は私が以前支援を担当していたクライエントでもあったのですが、その時は確かに私が担当するサービス利用者でした。でも、今は私は彼のことを障がい者とは見ていません。一人の大切な仲間として見ています。それは、きっと私の方が彼を一人の人として見ることができるようになったのだと思います。本当に失礼な話ですが、以前は私は彼の「障がい」を見ているに過ぎなかったのです。それが、同じ職場で仕事を共にすることで、自分の意識を変えることができました。

タイトルには「障がい」を理解するとは? と書きましたが、そもそもこの考え方が間違いなのではないかと感じています。ソーシャルワーカーとしてまずすべきことは、「障がい」ではなく私たちは「その人」を理解することなのです。
もし、ソーシャルワーカーがクライエントの生きづらさを、障がいや高齢による残存能力(この言い方も好きではないですが)や困窮世帯であるとか、そうした福祉の分野に分けて考えているとしたら、それは支援する者として何か勘違いしているということでしょう。

いちソーシャルワーカーとして、人として同じ「人」を支えることを続けていきたいと思います。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました!


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