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「き」 は 聴く、 心でね。 

「えだまめ まきなら あめふりに」
この合言葉でママたちが救われますようにって
想いを込めて書いているnoteです


「き」は

子どもの気持ちを 聴く

子どもの考えを 聴く

そして それらをできるだけ優先する です


先日、わたしの母(娘にとってはおばあちゃん)と
娘の二人でバッタを捕まえに行くというイベントがありました

イベントといっても、夕方のちょっとした時間のこと

バッタの捕獲に成功し
(しかも4月下旬にはなかなかいないトノサマバッタの赤ちゃん!)

「バッタさん!飼いたい!」

うんうん、言うと思ったよ
わたしは賛成
生き物が好きなわたしの母(おばあちゃん)も賛成

娘が幼稚園から毎月持って帰ってくる “かがくえほん” に
バッタの飼育方法についての説明がある号があったなと

三人で “かがくえほん” を取り囲み

ふむふむ、なるほど

飼育ケースは大きい方がいいのね

今バッタさんが入っている
この虫かごではなく
昨年の夏にカブトムシを大切にたいせつに飼っていたあのケースがある
と、わたしは持ってきたわけです

娘は

「土をとりに行こう!」

と赤ちゃんのときから愛用しているアンパンマンの小さな真っ赤なバケツに
アンパンマンのスコップ(5歳、年長さんである)
を持ち、準備OK!!!

しかし、母(おばあちゃん)は

「いやいや、飼育ケースを持っていってそのまま土を入れてこよう」


・・・ふなこ、違和感

おそらくこれを読んでいる皆様にはそこまでの違和感はないのかもしれません

娘は素直に従いました
アンパンマンのバケツとスコップを置いて
大きな飼育ケースを両手で持って
バッタさんを捕獲した場所に土をとりに行きましたよ


ふなこ母の悪気のない「こっちのほうがいいわよ」の積み重ね

幼少期のふなこは
「なんでわたしのやり方はだめなの?」
わたしのやり方はだめなんだ

そう、小さな小さな「こっちのほうがいいわよ」の積み重ね

自分の考え方がだめなんだって
子どもは思い込んでしまうんです

自己肯定感、低くなってしまいます


「えだまめ まきなら あめふりに」

「ま」は待つ

わたしは「待って」「聴く」姿勢
親としてとても大事なことだなって実感しています

言いたくなる
大人としてね
先を生きてきた一人の人間としてね

「失敗がないように」とか
「効率がいいほうに」とか

言ってしまいたくなるけれどちょっとストップ

子どもには
今を生きている子どもには
子どもなりの精一杯のやり方、考え方があって

一回それを聴いてからからでも

大人が教えるとか口出しするとか(しない方がいいとは思いますが)
いいんじゃないのって

聴いてあげてほしいです

子どもがすることには何かしら理由があるはずだから

聴いてあげることで

親は自分の言うことを全て受け止めてくれるという安心感
信頼関係を築くことができ
大事なときに
親の言うことを素直にきいてくれるようになりますから


親のペース 親の都合 親の考え

ではなくて

子どものペース 子どもの気持ち 子どもの考え


が優先されてほしい


母(おばあちゃん)
「真っ赤なバケツ、懐かしい!かわいいわね!
 それで土をとりに行きたいの?」


「うん!いつも土を運ぶのはこのバケツなんだ」

というやりとりで「なるほど」と娘の気持ちや考えに寄り添うか

どうしても効率を重視して飼育ケースを持たせないなら(わたしにはこの感覚はないのですが)

母(おばあちゃん)
「でも、何回もとりに行くかもしれないわよ?
 飼育ケースごと持っていくのはどう?」

と、娘の考えを聴き入れた上で提案をしてほしかったなぁと思います


子どもを親の所有物とは思わず
一人の人間として尊重し
一人の人間として興味を持って接してみようとすれば

自然に
「聴く」ことができると思います

「どうしてそう思うの?」
「どうしてそう考えるの?」

わたしとは別人格の 一人 だから

その感覚をいつまでも大事にしていきたいと思うふなこでした





 














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