医師には期待しないでおこう。それでも、病院へ行こう。

 皆様、なにか身体に不調が出た際は病院へ行っていますか。行っている方もいらっしゃるでしょうし、なかには病院は嫌いだから行かないという方もいらっしゃるかもしれません。 私は昔から身体が弱く、たくさんの種類の病院へかかってきました。小児科、内科、外科、耳鼻科、眼科、皮膚科、歯科、精神科…。
 子供の頃は、病院へ行けば治してもらえるものだと信じていましたが、現実はそう簡単ではないようです。医師にとってすら、適切な診断を下して治療を行うことは容易ではないと経験則で感じていたのですが、最近、専門書にそれを支持する結果が載っていたので驚きました。私は、そしてもしかしたら皆さんも、病院や医師に過剰に期待しすぎているのかもしれません。
 私たちは病院や医師へどのように期待をしており、期待をしすぎるのか。そして患者には何ができるのか。今回はまとめてみようと思います。

医師の診察を受けるメリットは何か?

 そもそも、病院で医師の診察を受けるメリットはどのようなものでしょうか。私は 1. 病状を客観的に確認できる場合がある 2. 診察を通じて病状の原因が確定できる場合がある 3. 病状に即した薬の処方や治療が得られ得る といったメリットを期待しています。

病状を客観的に確認できる場合がある

 医師の診断を受けることで、客観的に見ても病状が確認できることは重要です。そうでもなければ、周囲から「本人の思い込みでは?」といったあらぬ疑いをかけられてしまう場合もあります。もしその病状が深刻なものであるならば、行政から福祉の支援を受けられる場合もあります。
 私たちは医師が何もせずとも病状を把握してくれることを期待する傾向があるかもしれません。しかし、医師も人間です。患者の病状を十分に把握することは医師にとって困難な仕事のようです。私は過去にうつ様の状態で困っていることがありました。心療内科を2か所と、電話相談サービス1つを利用しましたが、私の困り感を説明しても十分に理解を示してくれたとは言えませんでした。ひどい例では「あなたが決断するしかない」「何が不満かわからない」等と医師が言い出したケースもありました。結果的に、その後の私と家族の調査を通じて私自身にADHDの疑いをかけたうえで、発達障害に詳しい医師に相談するまで、うつの根底にADHDがある可能性を指摘する医師はいませんでした。

診察を通じて病状の原因が確定できる場合がある

 病状からその原因が確定すれば治療にむけて大きな一歩となるでしょう。患者としては原因の把握を期待します。しかし、私たちは医師が病気の原因を確定する能力に期待を抱きすぎているのかもしれません。例えば腰痛の85%は検査で原因がわからないと言われています(参考文献)。私たちには身近で簡単そうに見える腰痛という病状でさえ、医師は確たる原因を見出すことができない場合が多数あるのです。あまり期待しないほうが良いかもしれません。

病状に即した薬の処方や治療が得られ得る

 原因が明らかになるにせよ、ならないにせよ、医師は患者の力になってくれることを期待します。実際に医師は、仮に原因がはっきりしない場合でも、対症療法の薬を処方する可能性が高いでしょう。対症療法の薬は馬鹿にできるものではなく、一時的に症状を食い止めることは心身への負担を軽減し、その間に自然治癒によって解決する可能性も十分にあるでしょう。
 一方で、すべての医師が最新の治療技術や投薬に通じているとは限りません。少し古い世代の薬が処方される場合もあるかもしれません。患者の側から新しい薬について質問をすると、古い世代の薬を利用する理由を説明してくれる場合や、場合によっては新しい世代の薬に切り替えてくれる場合もあるようです。

医者の限界を踏まえて、患者には何ができるだろうか

 医師が診断を下してくれるとは限らない、という事実は私にとっては衝撃でした。では、医師から妥当な診断を得るために、私たち患者には何ができるでしょうか。これまでの私の経験と書籍の記録を参考に、私たちにできることが2点あると考えました。すなわち、自己観察と良い医師の選択です。

自己観察:自分の中で疑わしい病名を見つけても良いのでは

 私たちにできることの一つ目は、自己観察でしょう。すなわち、患者も病状をうまく説明できるようにあらかじめどんな症状があったのかを言葉にまとめて、できれば、考えられ得る病名についても把握しておくことです。患者の証言は医師にとって重要な情報となるようです。
 医師が限られた時間と情報で診察を行うのに比べて、患者は無限といってよいほどの時間を持っています。しかも記録を取る際には、何に注意を向けて自己観察するかをが難しいということも踏まえれば、ある程度、自分にあり得る病名の可能性を考えておいても罰は当たらないのではないでしょうか。実際に、ADHDの疑いを抱いてから幼少期のエピソードを集め医師に見せたところ、とてもスムーズに話が進みました。もちろん素人の生兵法は大怪我の基ですし、過度な思い込みは観察や症状をゆがめ得るので、ほどほどに。もちろん最終的な診断は医師にゆだねましょう。

良い医師の選択:実際に会ってみて、話をよく聞いてくれる医師を探す

 もう一つ、私たち患者にできることは、自分に合った良い医師を見つけることだと思います。 特に、直接会って話したさいに、こちらの話をよく聞いてくれる医師を選択することが重要だと感じます。
 どうやら「患者が医師の診察を受けた後回復するかどうかは、初診の際に医師が良く話を聞いてくれたと患者が感じるかどうかによる」という科学的な報告が複数あるようです(参考文献)。この報告は、私の体感とも一致します。複数の引っ越しを経験する中で、いわゆる地域の名医とよばれる方に診察して頂いた経験が私にはあります。だいたいどの名医も1-2時間以上の待ち時間の後に診察され、診察の際はまずこちらの話をゆっくり聞くという点が共通していました。どうやら話をゆっくり聞いてもらえる信頼なる医師に診てもらうと、いわゆるプラセボ効果によって、それだけで治療効果が促進されるようです。
 逆に言えば、話を聞いてくれないと感じる病院は避けたほうが良いかもしれません。ショッピングドクターは嫌われる傾向がありますが、しかし実際の所、自分に合う医師合わない医師というのは存在すると思います。あまり理想を探しすぎても益がありませんが、あまりに合わない医師の話は、話半分に聞き流すほうが良い場合もあるかもしれません。

終わりに

 上記の通り、必ずしも医師に診てもらえば回復するとは限りません。医師も人間です。持っている知識には限りがありますし、時には間違いを犯します。しかしそれでも多くの場合、医師は私たち患者に比べて知識を持ち、治療や薬の処方を行ってくれます。なにより、よく話を聞いてくれる良い医師は治療法や薬が本来もつ以上の力を引き出してくれるようです。
 過剰な期待はやめましょう。それでも、病状についての説明を用意して病院へ行きましょう。

 それでは、素敵な1日をお過ごしください。
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参考文献
ココロとカラダの痛みのための邪道な心理療法養成講座, 粳間 剛, 三輪書店, 2018


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