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好き勝手に生きても、案外何とかなる。

賃貸契約してしまえば、こっちのもの。

 先日、移住先の賃貸契約に伴い、不動産屋にあれやこれやのレスオプション加えて、初期費用が納得する水準に達したのでカードで支払った。いよいよコロナ以前から画策していた地方移住が現実味を帯びてきた。

 以前に記したように、初期費用は安いとはいえ、初回請求がオプションが増し増しで提示されていたため、宅建業法も不動産屋のぼったくり商法も筒抜けだ。その手には乗らない。と言わんばかりの抵抗をメールで何通もやり取りした末、当初提示された初期費用から実に2割以上もの金額を減額した。数万円単位の削減である。

 これは何も家賃交渉ではなく、オプション増し増しで請求してくる、不動産屋に対抗して、初期費用を適正水準に下げたに過ぎない。ここまでのやり取りが何より面倒で、家賃交渉まで気が回った試しがない。

 仮に交渉するにしても、2年後の更新時に改めて理論武装をしてから望むことになるだろう。地方で投げ貸し状態の物件ゆえに、交渉の余地があるかは定かではないが、一度契約さえしてしまえば、賃貸人が不利になる形での退去は相当難しいから、契約時より強気に出ても案外何とかなるものである。

世の中、適材適所。

 契約に漕ぎ着けるまでに難所となるのは、業者に「お前とは契約したくない」と門前払いを食らわない程度に、初期費用を適正水準までカットする、嫌な客を演じる塩梅である。

 私は性根が腐った嫌な奴ゆえに、増し増しなオプションを提示されても、法や契約書の文面に則り、解釈の余地があるグレーな部分をガンガン詰めては、レスオプションを要求することに躊躇いがない。

 過去には営業マンから遠回しに「お前とは契約したくない」と言われたこともあった。お金に困ってないなら、何もそこまでしなくても…と思われるかも知れないが、そうやってお人好しを演じた代償として、支払う羽目になる初期費用はバカにならない。

 裏を返せば、契約時に嫌な奴を演じきることで、営業マンが根負けしてくれれば、増し増しのオプションが取り下げられ、数万円単位でぼったくられることもなくなる。

 そうでもしなければ適正価格で賃貸契約が出来ない現状は不健全だが、それが現実である以上、嫌な奴を演じてカモられないように努める他ない。自分のお金を大事に思えるのは、他の誰でもなく自分なのだから。

 これは自動車保険で過失割合の交渉をする時などでも応用できる。そうして本来なら払う必要のない費用を削減し、浮かせた数万円で出来ることを考えたら、メールや対面上でのやり取りで、嫌な奴を演じることくらい造作もないが、日本人の多くはお人好しゆえにそれが出来ない。

 だから周囲から、携帯電話の契約やら何やらで、付き添って欲しいと頼まれる機会が結構ある。私が横に居ると、不要なオプションを押し付けられそうになっても、業者側が根負けする程度にガンガン詰めては、不利な契約を阻止してくれる安心感があるらしい。

 敵に回したくない程度に嫌な奴でも、必要とされる場面があるのだから、世の中、適材適所だとつくづく思う。因みに誰かの契約に付き添った結果、ぼったくられずに済んだ場合は、その金額や恩恵が得られるであろうランニングコストをダシに、割合良い飯をご馳走して貰うあたり、悪徳具合が業者と大差なく、性格の悪さが滲み出ている。

どんなに嫌な奴も、全員には嫌われない。

 たとえ、どんなに良い人であっても、全員から好かれることがない。これを対偶関係で言い換えると、どんなに嫌な奴でも、全員から嫌われることもない。

 それなら、誰からも愛されない八方美人を目指すよりも、敵は多いかも知れないが、自由奔放なまでに我を貫き、結果としてクセの強い変人かつ嫌な奴となるが、その上で人間関係を構築した方が、端から期待されていないゆえに、裏切りに遭うことも滅多にないだろう。

 その方が長い人生においては、敵を作ることによる機会損失を差し引いても、トータルで得をすると考えているが、仮に感化されて実行したことによって、損害が発生しても、私は一切の責任を負う気がない無責任さに、やはり性格の悪さが滲み出ている。

 私は20代半ばで死亡確率が40%〜70%ほどの大病を患い、身に覚えのない発作でのたうち回りながら倒れ、入院、手術に至った。もしこの発作が心筋梗塞なら、俺の人生ここで終わりなんだな。そんな最期を意識した瞬間に後悔したのは、自分の本心に向き合って生きてこなかったことだった。

 倒れる以前から好き勝手に生きてきたつもりでいたが、いざ最期だと思うと、無意識下で世間体を取り繕った結果、賃金労働者のレールに沿う道を選び、いつの間にか社会や組織から重荷を背負わされ、主体的な人生だと思えない程度にがんじがらめになっている自分を認知した。

 発作に至った原因が賃金労働によるストレスだったのだから、尚更これまで形成してきた価値観やアイデンティティが、オセロの如くひっくり返ってしまった。

 noteを毎日投稿していることからもお察しのように、一命を取り留め、身体もまだ心許ないが、不動産屋とレスバ出来る程度には回復している。一度、大病を患ってしまった手前、20代ながら、いつまで生きられるのか分からない。推しである黒崎真音ちゃんが35歳の若さで急逝したから、否応にも意識してしまう。

 一回死にかけたからこそ、好き勝手に生きる勇気や覚悟を持てた気がする。一度きりの人生である。周囲に何を言われようと、自分がやりたいと思うことをやる。不恰好でも良いじゃないか。

 だからこそ、これからは好き勝手に生きて、こんな奴でも生きていけるんだと、自分のクオリティに絶望している若年層に何か与えられるものがあれば、生きる意味が生まれる。そう信じて早期退職と地方移住を決行する。


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