見出し画像

働きたくないから浪費しない。

お金がない苦痛より、労働の苦痛が大きい。

 私が居住する都内某所のボロ物件に泊まったことがある旧友に、電気毛布で寒さを凌いでいると言ったらそれなりに心配された。都内とはいえ、12月にもなれば放射冷却の影響から、早朝は氷点下に近い日がぼちぼちある中で、日光も当たらず、断熱性能など皆無なボロ物件である。

 室温と外気温はニアイコールであり、空間的制約上、室外機が置けない条件のため、エアコンすら設置されていないと言う、生活保護もびっくりな低スペック物件だが、山手線の駅が徒歩圏内という立地で、恐らくネットカフェ難民よりも安上がりな家賃を鑑みれば、割り切れる条件ではある。

 そんな住環境にも関わらず、未だに電気を使わず単なるブランケットとして暖を取っているのだから、どんだけ生活がカツカツなのかと思われるが、実際のところ生活費用と均衡する規模の金融資産所得がある程度に、特段お金に困っている訳ではないだから、某魔法少女アニメに出てくるウサギみたいなマスコットキャラ調で「ワケガワカラナイヨ」と思われるのは自然な流れだろう。

 そこまでして切り詰めなくても…と思われがちだが、本人は精神をすり減らして切り詰めている感覚などなく、お金を使わなかったことで、「余計に賃金労働をする必要がなくなった」と、何だか得した気分に浸れるのだから、他人がとやかく言ったところで仕方がない。

 要するに社会不適合者であるが故に、お金が使えないことよりも、労働しなければならない苦痛の方が大きく、たくさん稼いでたくさん消費する生活様式は向いていないのである。

メンタルブロックとの付き合い方。

 恐らく根底にあるのは早生まれ特有のハンディキャップから、人格が形成される幼少期に成功体験を積むことができなかった過去に起因して、「自身にお金を掛けても仕方がない」と、ある種のメンタルブロックが作用している側面は否めない。

 だから一度高卒で社会に出ているし、学習塾や予備校の類どころか、習い事すら無縁な学生時代を過ごしており、学資保険の満期保険金は全く出番がなかった程度にコストが掛かっていない。

 メンタルブロックの存在を理解している分、対処可能で知らないよりはマシだろうし、何も悪いことばかりではなく、一度社会に出たからこそ、自身に足りない知識や、興味を持つ分野を体系的に学びたい欲求が湧き出てくるもので、自身が得た賃金を原資に、大学に行くことを選んだ。

 これも配当所得で学費が全額賄えるようになったから、重い腰を上げるに至った訳で、いくら疫病で千載一遇の機会に恵まれた時の運があったとしても、身銭を切るなら躊躇ったかも知れない。

 それほど、自分自身に期待していないからこそ、自己投資に多額のコストを掛けるよりも、感覚的に期待値の高い金融資本や、それなりの資産規模になる前から交友関係のある、損得勘定抜きで付き合える掛け替えのない旧友(社会資本)に対して資産を投じた方が、社畜のクオリティを向上させるのが関の山な人的資本に投じるより、幸福度が最大化できると考えている。

将来価値を踏まえた消費、投資、浪費。

 自分自身にお金は使えないが、交友の深い他人ならお金を使える副産物として、見栄を張っているつもりはないものの、結果としてしみったれたイメージを持たれず、金融リテラシーのある旧友に運用総額を開示すると、文字通りケタ違いのため驚愕される。

 同じ教室で学び、同じ学歴で、同じような所得レンジの職に就いた間柄である。数字に強ければ、これまでの可処分所得の概算くらい即座にできる訳で、仮に平均年収が350万円で、税引後が280万円と仮定すれば、それに勤続年数を乗じた額が、これまでのキャッシュフローでプラスとなった部分であり、常識的な生活費用を差し引くと、私が保有する額になることはない。

 資産形成の方程式が(収入-支出)+(純資産×運用利回り)で、収入が大差ない以上、支出を極端に切り詰めるか、リスクを取って運用利回りを上げに行くかの二択若しくは両方を組み合わせることになる。

 運用もせず単利かつ貯蓄オンリーで実現しようと考えると、人里離れた山奥で仙人ライフでもしなければ、実現不能な資産規模となっているのだから、やはり複利の効果は絶大で、20代のうちに運用総額が1,000万円を超えてくると月給が数ヶ月分、人によってはボーナス一回分に匹敵する規模の金融資産所得となり、積立を止めて据え置きで運用し続けても、余命を考えれば配当所得だけでも晩年に余裕で財を成せることは、ジャックとジルの話でも表されている。

 それ位、若い時と老後とでは、同じ額面であっても価値が大きく異なるのは、1億円渡されても寝たきり状態の人と代わろうとは思わないことからも明白だろう。

 だからこそ、労働集約型の薄給でも、将来価値を考えて適切に運用できれば、バブル前に入社した既得権益ぶら下がり世代の高給よりも高い価値を持つ可能性を秘めている。

 だからこそ、そんな貴重な原資を我慢料と捉えて、ストレス発散の名目で一時の欲求を満たすのではなく、将来不本意な賃金労働を行う時間を少しでも減らすために、一番若い今を戦略的に浪費しない超長期目線の考え方が最期に後悔しないために必要な要素なのかも知れない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?