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コトラー マーケティング5.0

 コトラーがマーケティング4.0を発表して二年が経とうしています。

コトラーのマーケティング概念はとても有名ですが、4.0の概念、他の2.0や3.0の概念の説明と比べると、あまりにもお粗末な記事が多いと感じました。
マーケティング4.0の本来定義と、次なる5.0の展望を考えていきたいと思います。

では、コトラーのマーケティングについて一度振り返ってみましょう。

マーケティング1.0 商品中心主義(Mind)
マーケティング2.0 消費者志向(Heart)
マーケティング3.0 価値主導(Sprit)
マーケティング4.0 自己実現(Self-Actualization)

マーケティング5.0とはどのような概念なのか。

それは「貢献」です。
私は、このように予想します。
マーケティング5.0の話に入る前に
マーケティング4.0について考えていきたいと思います。

マーケティング4.0について

マーケティング4.0は「自己実現」です。
個々に合うようにカスタマイズされた製品やサービスを提供すること。
このような記事をよく見かけます。

その概念で言えば、マーケティング4.0の世界感は
現在の日本の状況にマッチしているとは言えませんか?

商品や製品、サービスの品質はどれも高い水準にあります。
注文をすれば殆どの場所には
短時間で求めている商品を手にすることが出来ます。

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選ぶ自由が十分にあります。
100円ショップに並ぶ品も数年前の品質よりも進歩していますし
十分に使用に耐えるものばかりです。
価格によるバリエーションも十分です。
食事においても、どれも美味しいです。

美味しいと感じないのは
自分の趣向にマッチしていないことの方が多いはずです。

幸福の探求についても人生で全ての時間を使っても
足りないほどの未知に満ちていると言えないでしょうか?
十分の「個」にフォーカスされているとは言えませんか?

どこへ行っても普通以上のサービスが当たり前の時代に

商品を手にすることができる社会に幸福を感じていました。
つい二、三年前なら満足だと口にしていたかもしれません。
しかし、現在は違います。

多くの人が、それらのサービスについて
当たり前と感じてきてしまったのです。
これは社会レベルが上昇したことによる慣れ
差別化されない事への不満なのだと思います。

苦しい生活と感じる理由

ヒエラルキーの中で自分が今、底辺だと実感するからではないでしょうか?
そもそも生活レベルは日本ではかなり良い状態です。
電化製品は安くて高性能です。
自由競争によってサービスの質も高く、低価格です。

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低所得者として考えられるのは、自分の裁量で
遊べるお金は少なくなってきていると思います。
生活は出来るが、生活以上の娯楽や発散に対して
手持ちが足りない。

その点で考えると情報にオープンにアクセス出来る事によって
青天井の天下人の姿ばかりがよく見えるようになったため
自分の立ち位置がとても苦しいように感じる。
人は、比較によって幸不幸を感じるのではないか。

そして何もかも売れなくなった

サービスがよくその状況になれてしまった事に
より良い物を求めてしまう心境になっているとも言えます。
サービスを見定める目やサービスを味わう感覚だけは
研ぎ澄まされてきたのですが
サービスに消費するお金が目減りしているという状況です。

そしてお金がないと感じているということは
お金が中々動かないことを意味していると言ってもいいでしょう。
保守的な考えになり、財布の紐は固くなりがち。

財布の紐固ければ、サービスの開発や改善に繋げられる予算が下がります。
するとサービスのクオリティーを上げるのに時間が掛かります。

負のルーティンの中でいかにサービスや商品を手に取って貰うか。
それは自分にはこれしかないと思わせるしかありません。

「個」にフォーカスしていくこと

ではこのようなヒエラルキーや格差の中で
それぞれの業種や夢、ライフスタイル
生き方の中と多角的な視点に切り分け
それぞれ一人一人にあった製品が求められるようになりかした。

カスタマイズという視点は「個」へのアプローチの
マーケティング4.0時点での一つの解だったと思います。

もっと「個」にフォーカスするサービス、製品とは?

あなたにフォーカスしているという感覚です。
カスタマイズではなく、マッチしたサービス。
あなへの最適解を提供してくれるものです。

カスタマイズという視点での最上の回答は
従順で、文句を言わず
コミュニケーションも欠かさず、愛すらも与えてくれるドラえもん。
もしかしたらそんなサービスなのかもしれません。
こんなロボットがいたらきっと満足でしょう。

Mr.Childrenの「くるみ」という歌の歌詞には、このように書かれています。

今以上をいつも欲しがるくせに 変わらない愛を求め歌う。
そうして歯車は回る この必要以上の負担に
ギシギシ鈍い音を立てながら

この歌詞を聴いて、はっとしませんか?
人間は欲張りです。

手にしても、それが色褪せるのではなく
満たされなくなってしまうのです。

足りなくなってしまった分は、他の何か
それ以上のもので補おうとする。

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のび太もドラえもんという夢のような存在がすぐ隣にいながらも
常に不満を抱え自分自身を嘆き続けていませんか?

我々もまたある意味ではドラえもんに近いようなサービスを享受出来ている環境にいながらもスネ夫やジャイアン、できすぎ君に対して妬みや憧れをいだ抱き
その感情に自分自身が捕らわれ続けているようにも思えます。

その感情からの解放がコトラーの言うところの
自己実現への道なのではないでしょうか。

コトラーの「自己実現」はなにが元になっているのか。

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