効率から自由になる「愚かな生き方」 〜才能のあるなしを超えて、それでもやりたい〜
「この記事」を書いたときから、「どうやって効率から自由になれるのか?」が自分の中でテーマとなっています。
実はその前に今現在セミリタイアをしている人と話をさせていただいて「セミリタイアって実際にやった後の情報があまりにない。こんなにツライとは思わなかった」っと二人で意気投合したことから始まっています。
「お金から自由になればなんでも楽しく過ごせると思っていたら、お金じゃない新たな価値観を求められた。しかもどうやらその答えは、自分で見つけないといけないようだ」
そう思ってから、自分は効率を求める以外の生き方について考えるようになりました。
それは自分に向いている?向いていない?
何かモノゴトをするとき、自分の頭の中に無意識に湧いてくることがあります。
「これって自分に向いているのかな?向いていないのかな?」
平たくいうと
「才能があるか?ないか?」
もうこの考え方自体に「効率」が入っているなって思います。
才能があるなら、人よりも上達がはやい
才能があるなら、人よりも素晴らしい仕事ができる
才能があるなら、人に感動を与えることができる
自分に才能があるかどうか?向いているかどうか?を考えてた時点で軸が他人にいってしまったような印象があります。
そりゃあ、才能は無いよりはあるに越したことはないです。才能があることを好きになるのは比較的簡単なことのような気がします。
それでもやりたいは自由の証
しかし、自分に向いているか?向いていないのか?とか、才能があるなしに関係なく、それでもやりたいっと思ってやるというのは効率から自由になっっているように感じます。
「険しい道のりなのかもしれないけれど、自分にとってはこれはやりたいことなんだよね」
そう振り切ってしまえると、そこには圧倒的な自由があります。
人から評価されないとか、周りの人と比べて上達が遅いとか、なんかそういった効率の枠組みから、抜け出しています。
文は拙以て進み、道は拙を以てなす
そういえば、菜根譚(さいこんたん・中国の人生哲学書)にも
文は拙を以て進み、道は拙を以てなす
(ぶんはせつをもってすすみ、みちはせつをもってなす)
っていう言葉がありました。簡単に訳すと以下のようになります。
「文章を学ぶ場合は、才走った人よりも、むしろ稚拙(ちせつ)な人のほうが精進が進みます。また、道を学ぶ場合も、才走った人よりも、むしろ稚拙な人のほうが大成します。」
才能があるとか、効率的に学ぶとかを考えないで、つたないまま、うまくないまま進めていく人の方が精進が進むし、大成する。
そんなことを菜根譚では言っています。
また、有名なスティーブ・ジョブズのサタンフォード大学のスピーチでも、ジョブズ は「Stay hungry,Stay foolish」(貪欲であれ、馬鹿であれ)を何度も強調して繰り返していました。
効率とか、才能があるない、向いている向いていないなんて考えず、下手でも、進みがみんなより遅くても、馬鹿だなぁっと言われながらも、周りのことは気にせずにやりたいことをやり続けることが、幸せなことなんじゃないかと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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