なぜ、今の暮らしをしているのか①

2005年、夏の「パーマカルチャー」合宿で二人は知り合いました。

HIROは田んぼのある田舎で育ち、たくさんの自然と遊びながら幼少期を過ごしました。大学卒業後は15年間海外でインテリアコーディネーターの会社で働いていましたが、経済性のみを追求した社会に疑問を感じ、別の生き方がしたいと、会社を辞め、1年間WWOOF制度を利用して、日本各地にファームステイをしていました。

kyokoは子どもの頃からさかのぼると、
中学3年生までは健康優良児で、特に勉強をしなくても学年3位以内に入るような、頭の良さ、というよりは、脳が健康だったから授業中の集中だけで記憶することができたのかな、と思います。
中学3年の夏に、新築の家に引っ越してからは、頭がぼーっとし、食べたものももどすようになって、授業中も寝てばかり。環境の変化かな、と思っていましたが、
大人になって「化学物質過敏症」と判断されました。というよりは、化学物質の影響を受けていたんだろうと思います。暖かった家庭がぎくしゃくし始めたのもこの頃だったかもしれません。
すれすれながら高校大学へと進み、小さいころからの夢だった演劇も始め、大学卒業後は役者になるとフラフラしていましたが、やはり頭がぼーっとして思うように演じる事が出来ず、
その頃に知り合った酪農家の元でお世話になりながら
「酪農ヘルパー」という職業に就くことになりました。

<酪農ヘルパー>
東京の下町で生まれ育った者にとって、農業というのは初めての事ばかりで
毎日が新鮮でした。
住み込みでお世話になっていた時期は、休憩時間になると牛の身体をブラッシングしたり牛舎を掃除したりしていましたが
「農業は休憩も仕事のうちだぞ」と一緒に休憩したりしていました。
千葉県アンデルセン公園近くにある高橋牧場というところです。
酪農ヘルパーでは25件の農家さんの家を順繰りに回って休日をお届けする、というお仕事でしたが、一緒について働いてくださる農家さんもいて、
その後のお漬物とお茶時間はとても楽しく(スイカを丸ごと皮をむいたり^^;)、また働き方も生き様も人の数だけあり、今にして思えばとても豊かな暮らしを見せていただいていたなあと思っています。具体的にも、1人暮らしにもかかわらず、1日5本以上の大根や白菜を頂いたり、隣の梨農家さんから梨を大量に頂いたり、年に何回かは酪農ヘルパー組合の奥様方や旦那様方と料亭の様な所に連れて行ってもらったり。1人暮らしの家には小さい庭がついていたので、ハーブや果菜類など栽培していました。
朝と夕方が基本的な仕事の時間だったので、昼間は好きな事が出来たので、朝早めに仕事が終わった時は友人と海に行ってまた夕方帰ってきて働く、などもしていました。

そんな生活も2年で終え、
アメリカ、日本国内を1年間ほど旅行し、
その後、東京の会社に就職します。

つづく・・・

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