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新元号

新元号、発表されましたね!

「令和」
と聞いて、個人的にはまったく
想像がつかなかった元号名で驚きました。
世の中の人たちも、そうだったのでは??

でも、美しい音色を持っていて、
たおやかで凛とした普遍性のある名前で、
名付けた人に、お礼を言いたい気持ちになりました。

元号名がわかった後、Twitterを見ていたら、
新元号に関しての沢山のニュースと一緒に
表現の勉強をしていたときの仲間が、
「令和」のアクセントについて
「どう読むの?頭高?平板?」
と書いているつぶやきが、いくつか流れてきて、
みんなの仕事愛&表現愛を感じてほっこりした私...。
(J−CASTニュース:内閣府への取材によると、
「元号法」「元号の読み方に関する啓示」にもとづき
求めているのは、漢字・その読み方のみだそうで、
アクセントに関する決まりはないそうです。)

近代の日本になるまでは、災いがあると、
元号を変えてきたといいますが、
日本人は、「言葉」
(「ことだま」と言ってもいいかも)の力を使って、
心境や状況を、グッと切り替えるところがありますよね。

言葉なんて大したことないと思ってしまえば
それまでなんだけど、
実際に私は、今回改元で年号名が発表されたことで、
人の深い集合意識のようなところの「思い」が
とても変わったように感じるんです。

受け入れるまでの時間はそれぞれあったとしても、
集合意識の力はかなり大きいので、
これまでの場所に皆の心境が「完全に」戻ることは、
もはやないと思う。

今の時期にこの決断は、本当に英断だったと思います。

とはいえ!
まだまだ残っている問題は山積みで。
世界は今年もきっと、色々とあると思うけど、
ゆっくりと焦らず確実に、
今よりも前に自分も進んでいきたいし、
世界もきっと、そんな年に
「令和元年」はなっていく予感・・。


じつは、月曜日に起きるとき、
ずっと出られなかった建物から
自分がやっと出てきた夢を見ました。

「もう出られないんじゃないかと思った。」

なんて言いながら歩いているところで目が覚めて、
「ああ、改元だ」
と思ったことを覚えています。

その夢では、ある人(女性)と一緒に
その建物を抜け出したのですが
その人が誰なのか、目が覚めたら思い出せません....。
だけど、今思うとそれは自分自身なんじゃないか?
と感じるんです。

自分といっても、日常わちゃわちゃとせわしない、
こんな私よりももっと賢くて、
もっと俯瞰した目線で物事を見ている、
もう一人の私自身が、この私といっしょに
あの建物を出てきてくれたんだなあ・・と。

ふだんは気付かないけれど、いつもそばにいる・・
なんだかジョジョのスタンドみたいですが、
目が覚めて、そんな感じがしています。

「令和」
これからの時代、元号名のとおりに
希望と気品に満ちた、調和の世界へ
社会皆が一緒になって進んでいけますように。

そんなことを考えながら
このNoteを書いています。


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