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桜の季節ですね。

この週末は桜が見頃なので、
お花見をしている人も多いのでは・・??

みのおエフエムの担当日の放送でも、
お花見のレポートがあって、お届けしながら
「桜の季節だなあ」
としみじみしてました。

みなさんは、桜というと
どんなイメージが浮かびますか??

私は、名字が「梅澤」ということも手伝って、
梅の花に愛着があるのですが、
桜にはふしぎな存在感がある気がします。

また、桜の花は
「人の感情を増幅させる」
作用も持っているなあと思うのです。

幸せなときには「より」しあわせに。
にぎやかな宴会は「さらに」盛り上がり、
感傷にふけりながら見る桜は、
「いつもより」悲しく見える。
目の前に見えている世界のスケールを
通常よりも大きく見せてくれる作用は、
「魔性」
と言ってもいいのかもしれない。

また、存在そのものも
咲くときは華々しく、
散るときも、雨のように
世界いっぱいに花びらを散らして去っていく。

まるで
「私を忘れないで」
と言っているかのようです。

それを見ながら、
人は悲しさを感じながらも、見入ってしまう。
桜の感傷に向き合っていると、
見知らぬ世界に連れて行かれそうな気持ちにもなる。

そんな妖しささえ漂わせて、
見る人を、ひととき幻想の世界へ
連れて行ってくれる、
桜って、そんな花だなと思います。



評論家で詩人、医学博士でもあった
加藤周一(1919ー2008)が
学生時代に書いた詩
「さくら横ちょう」
は、
「ちいさい秋みつけた」「夏の思い出」
などで知られる作曲家、中田義直が曲をつけて
声楽曲としてよく歌われていますが、
桜というと、なんとなく
この曲を思い出してしまうのです。

声楽家の森麻季さんが歌われているものが
You Tube にあったので、掲載してみました。

(同じく作曲家の別宮貞雄によるものもありますが、
どちらかというと、中田義直のものが有名。
森麻季さんは、2曲続けて歌っています。)


1曲目に歌われた、中田義直による
「さくら横ちょう」
は、桜の持つ幻想とはかなさが
とても分かりやすく表現された曲です。

もう会わなくなった人を、
今更ながら思い出している主人公が、
思い出してもどうしようもない、と
「花の女王」
桜に目をやる。

ただそれだけの情景だけど、
桜には妙にハマるなあ..
と思ってしまうのです。

「考えても、どうしようもないこと」
が、桜の花の下にいると
なぜか増幅されてしまう気がする。
ふしぎだけど、満月のような
幻想的で狂気にも満ちた世界を持っていながら
とても美しい花です。



以前、表現の勉強をしていたとき、
春になると進級オーディションが行われて、
そのあと、仲間と一緒に
レッスン会場そばの大阪天満宮の近くにあつまって、
1年間のねぎらいもかねて?の
お花見をしていました。

通っていた養成所は、もう無くなってしまったけど
お世話になっていた1期生の時代は、
先生方や生徒との交流も盛んな時期で、
お花見にも、オーディションを終えた先生方が
遊びに来てくれたり、
夏は、花火大会をしたりして、
どちらかというと
無感動に過ごしていた学生時代よりも、
「青春」らしい思い出が、
個人的に沢山あるのですが、

満開の桜の下で、
うかれて酔っぱらった仲間が
漫画に出てくるような
(じっさい、好きな人が多かったけど)
劇的なリアクションをしていたり、
先生や仲間も一緒になって
将来の夢をみんなで語ったりしているとき、

そのすぐそばで、桜の樹々が
とても妖艶な存在感を持って
立っていたのを今でも覚えています。

ばか騒ぎする私たちと、
静かに、だけど不思議な喧噪をたたえて
自分たちを見つめていた光景は、
どこか印象的でした。



見る人を、ひととき幻想の世界へ
連れて行ってくれるような、
そんな花。

私にとって、
桜は、そういうイメージです。

楽しいお花見の週末になりますように。




(妖艶ではないですが...↓)
桜の妖精です。


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