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#106 競争ベースの価値観がしんどい話

 競争ベースの価値観がしんどい。勉強できなきゃお先真っ暗だとか、正社員じゃなきゃ負け組だとか。自分の分をわきまえて競争から降りようとしても、それは許されない。競争に敗れた者達の競争、というものをしなければならない。

 満腹にならないパイを奪い合う毎日で、驚くほど自由がない。自己責任というが、個人の責任に帰結できることは案外少ない。

 いじめ、毒親、貧困家庭に生まれたことなど、社会に適合できない要因の根っこには、社会人としてのスタート地点から不利だったということも往々にしてあるものだ。

 しかし、競争ベースの価値観では、貧困からのしあがったとか、男まさりの女とか、成績ビリのギャルが賢くなったとか、そうしたアメリカンドリームの小型版のような夢が提示される。

「やればできる!」
「できていない人は努力が足りない!」

 成功者は、そうではない人を見下している。
意識的にではなくとも、無意識に見下すことは止められない。そういう価値観だからだ。

 労働市場では常に「今のあなたではダメだ。成長し続けなさい」と強要される。さもなくば、将来仕事を失うかもしれないと脅される。

 そうして、やりたくもない勉強をして資格を取ったりする。労働者の自由時間はどんどん削られていく。8時間勤務に1時間の休憩時間があり、片道1時間の通勤を往復する。これで拘束時間は11時間。実際には残業をして更に減る。

 人生の大半を労働に費やしている。何のために?という疑問は不要である。ただ、労働のために生きているのだ。果たしてこれは、豊かな人生と言えるのだろうか。価値の転換が必要だと思う。

 私達が本当に大切にしたいことを守れるように、考え方を変えたいと思うのだ。たぶん尊厳、だと思う。いちばん大切なものは。

 競争社会と尊厳は両立できる。自由資本主義の体裁を保ちながら、誰もが尊厳を傷つけられない社会にすることは、きっとできる。

「勤労は必ずしも美徳ではない!」
「働かざる者が食ってもいい!」

 そうした価値観、イデオロギーの転換ができれば、世の中は変わる。そうなれると信じている。戯言なのかもしれないが、ここに書き残しておきたい。

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