見出し画像

#180 (選ばれた)国民の祝日

 お金を貸す側と、借りる側。力関係として、どちらが強いと思うだろうか?お互いが常識を持ち得ているなら、貸した側が有利だが、そうでもなければ、むしろ借りた側が有利になるということも、往々にしてあるものだ。貸した金が返ってくるのかどうかを握っているのは、借りた側であるためだ。(利息や過払金は考慮に入れないでほしい。あくまで、これから話すことの前フリとしての例えである)

 さて、本日は「春分の日」である。わたしは、いつものように近所のドトールコーヒーに行き、アイスコーヒーのMサイズを注文して席につく。ランチの時間まで、ここでnoteを読んだり書いたり、あるいはニュースサイトを眺めたりして過ごすのだ。

 そして、いつも通りにランチをし、ダイソーで買い忘れていた日用品を購入し、コンビニに寄って帰宅する。そして今、先ほどサイゼリヤでナイフとフォークを手に、チキンを切り刻みながら不思議に思っていたことを書き出している。

 いつものお店がいつも通りに開店していて、見慣れた店員さんが相も変わらず働いていて、「国民の祝日」とは、いったい何なのだろうか?と、いうことだ。

「国民の祝日」は、国民の祝日に関する法律(昭和23年法律第178号)により、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために定められた「国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日」です。

内閣府ホームページ「国民の祝日」について より引用

 このような日に労働を課された人々は、相応の対価を貰っているのだろうか?あるいは、代休を取得する権利でもあるのだろうか?

 そうしたことはもちろん、ないだろう。(あったとしても、多少の時給アップ程度だろう)わたし自身が長らく、小売・サービス業の非正規雇用を経験してきた。しかも、時給で雇用されている場合、単に休日が増えれば良い、というものでもない。

 感情労働に嫌気がさし、事務職(非正規)に転職した知人と再開したときに漏らしていた、「会社が夏休みに入ると、その日数分は働けない。給料が減るので参っている」という話を思い出す。そうだ、この祝日を(悲しくも)望まずして迎えている人だって、きっとどこかにいるはずなのだ。

 わたしのチキンはとっくに一口サイズに切り刻まれていたが、まだまだ思考は止まらない。内閣府ホームページにあるお題目は、果たしてこのような不平等を知らずに掲載しているのだろうか?もちろん、そんなことはありえない。

 春闘を終え、各社賃上げが云々というニュースが目立つ、鬱陶しい時期が過ぎ去った。わたしも休職中でなければ、何度となく行われる集会に参加して、経営者と"上級"組合員の試合を、応援しなくてはならなかった。「まあ、労働組合があるだけ、まともな会社だ」と言い聞かせ、その取っ組み合いを眺めていたものだ。

 いわゆる、「御用組合」というやつだ。組合のトップ層は「組合員として名を上げることにより、社内で上昇する」ことを目論む働き者ばかりだ。その威光は凄まじく、たしかに存在感を放っている。その他のメンバーは持ち回りで半ば嫌々、彼等を支えているに過ぎない。当然、そんな彼等がストライキなど、行う訳がない。実際に、一度もしたことがない。その言葉を脅し文句として、チラつかせはするのだが。

 労働組合というのは大抵、冒頭に書いた「債務者の方が強い」という話と同様の関係性を持っている。実務を行なっている労働者が、それを放棄した場合、経営がストップしてしまう。労働者の方が数が多いのだから、ボールはいつでもこちら側にある、という訳だ。

 しかし、そのような脅しは、業界全体で横のつながりがなければ機能しない。とある会社がストを決行したところで、その隙に他社が儲けてしまっては、最終的には労働者自身が損をする。だから結局は、お互いが想定されうる妥協点の中で、こじんまりと争うことしかできないのだ。

※注意:もし、この記事をお読みになっている方の中に、これから就職活動に臨む若人がいれば、注意されたい。労働組合というのはたいていクソだが、組合すらない会社はクソ以下だ。

 しかし、そうした横のつながりを持つ組合が存在する。所謂、「非正規ユニオン」だ。現在、労働人口における非正規雇用の人口は約2,100万人で、全労働者のうち約4割が、非正規雇用だと言われている。そして、その彼等こそが、わたしによく冷えたアイスコーヒーを注いでくれたり、美味しいチキンを焼いてくれる人々なのだ。お互いに猫パンチしか繰り出さない御用組合のケンカより、このような業種横断的な連帯が広がることを、応援したい。

※有料記事ですが、プレゼント機能(有料記事を24時間限定でシェアできる)を設定しました。興味のある方はご覧ください。3月21日 15:15まで有効です。

 もし彼等が、正規・非正規の線引きで団結したときが来るならば、華麗なるストライキを行うことができるだろう。何故なら、現場を担う人達ばかりであるためだ。まさに今日、ホワイトカラーの連中が休みの日にも、食事やお買い物が成立したというのは、逆説的に「彼等こそが、社会で最も重要な立場にあるのでは?」と、考えるきっかけになるだろう。

 さて、わたしのチキンはとっくの昔に胃に収まり、消化も進んできた頃合いである。本日の夢物語はここで一旦幕を閉じ、あとは休日を謳歌しよう。そう、(選ばれた)国民の祝日を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?