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【ドアノブ】近況_028 最善の私を探す旅

私は皆自分なりの「最善の自分を探している」と思っています。

人生は人に捧げるものではなく、自分自身に捧げる事だと思うからです。

人の為にと言いつつその言動は結局は自分に返ってくる事も多くあると考えています。

人に冷たい態度を取り、人に親切にされるとは思えません。

人に親切にし利用されることはあるかもしれませんが、良い意味で壁に耳あり障子に目あり、どこかで見て貰えている事があれば関わってくれる人がいると考えます。

自分の元へ返ってくるという事。それならば、自分の人生をどのように過ごすことが最善かを考えることが自分にも人にとっても良いことではないかと思うのです。

人を喜ばせると周囲が笑顔になります。笑顔になると自分も笑顔になります。笑いにつられて笑った経験が一度はあると思います。

自分を喜ばせるのもありです。自分を喜ばせれば嬉しくなるし、楽しくなる。そういった波長を周囲も感じ取ります。難しい顔をしている人と和やかな顔をしている人だとどちらに声を掛けやすいか。

私は万能ではありませんので、人を選びます。

そこを自分の意志で出来るだけ平等に関わろうとはしますが、無意識領域が向ける無意識の動作に対しては私は制御不能です。

法、倫理、私なりの哲学に落として考えた時にそこに反する行動は避けるようにしています。

それらに反しない限り私の無意識化の自身を受け止める事としています。

そして、他人・・・ここ置いての他人とは、自分以外という定義とします。は受け止める事,又は伝えるのみに終始します。

私の意見は選択肢の一つでしかなく、強制的ではなく、受け止める側の自由としています。

基準は私の気持ちです。お勧めされたらそれをしないといけないとか、やらなきゃいけないと強制的な感じに思えてしまい、しんどい気持ちになるからです。

何か感想をいったほうがいいのかも。相手が求めている共感を示したほうがいいのだろうか。と考えてしまいます。

あれこれ考えるほどしんどくなってしまって、自分で強制化、義務化してしまいます。それが嫌なのです。

だから、私は何かお勧めをするときも見知ってもらう事を前提とせず、言いっぱなしにして、あとは相手に委ねます。

そうすれば興味なければ、気分が乗らなければ見知る事もしなくていいという事を伝えるようにしています。そして、断ってくれた時は喜んで相手の意向を示してくれた事に感謝しています。

そうして、相手の逃げ道を作ると同時に、私はそういう考えなので、相手のお話も聞き流すこともあるということを相互に認識できるように努めています。

その考えに行きついたのは細かい部分を見れば人はそれぞれ違っているからです。違っていれば興味を持つものもジャンルとしては近くとも感受的な部分は変わってきます。

私は相手との感覚の違いを認識できなければ、相手との話で合う話を探すのも難しいという考えを持っています。そして、そこには自分の話ばかりをしていると、相手の気持ちを汲み取る時間が無くなるという事もあります。

相手の違いを認めて、自分の違いも知ってもらう切っ掛けを見出す。それがコミュニケーションの一つかと思っています。

ただ、人間関係においては自分とどうしても合う合わないというのはどうしても出てきてしまいます。

その時はあえて関わっていこうとはしない。

それはテストで絶対に解けない問題が出た時に問題を飛ばすようなものです。

もちろん、その問題に少し思考を凝らしてみたり、トライしてみたり見出し方を探すことを一時的にしますが、その片鱗も見えない時は飛ばす事も選択肢の一つとされることが多いです。

これは人生において同じことを言えるのだと思います。

試験では時間制限があるので、わかる問題から解いていくというのが定石の一つと言われています。

それなのに、人生という時間制限があるのに、わからない問題、分かり合いたくない問題に時間を長時間使うほど人生は裕福なのだろうかと。

それなら、自分の合う人、または尊敬する人、関わり合いたい人、付いていきたい人、学びたい人、好きな人、愛する人へ時間を使えればいいと思うからです。

人生の無駄使いしていませんか?時に必要ならそこに時間を使うことも大事です。急がば回れ。

でも、必要ないなら次へ、これまでのより関わりたい人との人間関係に時間を割いたり、新しい人間関係を探す道に進む方がよっぽど有意義だと思うのです。

最善の私を探す旅とは最善の時間の使い方とも言えると思います。

テストや仕事、人間関係いろいろな事に時間を使います。その自己時間をどのように配分するか。睡眠、食事、トイレ、身だしなみ、装飾選び、移動、テレビ、ネット、スマホ、ゲーム、人間関係、一人の時間然り。

その人の人生の豊かさとはその人にしかわからないので、それがある人はそれを大事に。

見つかってない方はそれを探す道を。

何かわからない人は、集中しちゃうこと、病的ではなく、なぜか興味を惹かれてしまうもの、嬉しくなるもの、楽しくなるものがあなたの最善の生き方の一つではないのかなと思います。

それを探して日々生きる旅が人生の一つのありかたかと思います。

時間を浪費することなかれ、人生の主人公は自分であれ、あなたの人生に幸があるように願っています。