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【るんるん】_125 自己コントロール

読み手に気遣った記事を書いた方が良いんだけれど、そんな余裕がないるんるんです。
それでも精一杯読み手を意識して書いてみます。

『自分をコントロールするのは自分です。例え自分を認められなくても。』

という言葉を最近投げかけられました。
躁鬱だろうが、過去に何があろうが、それでも自分で自分を見つめるしか無いという解釈です。

コントロールするってなんでしょうか?
自制して行動し、感情を理性的にし、今後の予定について自分で定めることでしょうか。

Wikipediaで調べてもみましょうか。Wikiではセルフコントロールの項目にこう書かれています。

セルフコントロール、克己(こっき)、自制(じせい)とは、誘惑や衝動に直面した際に、自己の意思で感情、思考、行動を抑制すること。 直接的な外的強制力がない場面で自発的に自己の行動を統制する行動プロセスである。 セルフコントロールが効かなくなった状態を脱抑制と呼ぶ。

私はこれを聞くとイライラします。
物心ついた時から18歳ぐらいまで私は誘惑や衝動を我慢してきました。いつもお腹が空き、痛みに耐えて、幻覚に襲われ、眠れない夜を日常的に過ごしながら理性を保ってきました。

セルフコントロールが大切と言う人たちはさぞ暖かい居場所で生活を送ってきたんでしょう。羨望の眼差しを送ります。
だから彼らは言うんでしょう。自分をコントロール出来ていない人は子供のようだと。
それは彼らにとってかつての自分を彷彿とさせるからだと想像します。

なら抑圧されて育ってきた私たちにとって、自分をコントロールするとはどういう意味になるのでしょうか。
私は先のWikipediaの言葉を一部借りると、抑制する事態に直面した時に、自分の衝動に素直になることが正しい自己コントロールのあり方だと思うんです。
ところが私たちにとってそれは難しいでしょう。子供の年齢と、育った今との年齢では世間の目や法律的な目といった様々な制約が課されます。これでは抑圧し続けるか制約の範囲内でしか行動を起こせません。

きっと彼らは言うでしょう。多くの正しく論理的な言葉を投げかけてくる。
だけどそんなものは私たちにとって間違っていると思うんです。
抑圧されてきた私たちには間違った倫理的な言葉こそが正しいと思うんです。つまり自分がやりたいと感じた衝動を素直にそのまま行動に移す事が大切だと感じます。

そこに正しいや誤りは無く、論理も理性もありません。「どうなっても知らないぞ」と言う冷たい言葉が私には聞こえてきますが、私はそんな言葉を投げてくる人に自分の人生を賭けて不幸をばら撒くかすごく楽しい気持ちで考えます。

私は思うんです。
世のニュースで報道されている感情的に行動する人たちがとても幸せそうに思えます。その瞬間その人は一番その人らしく生きていると思うんです。
逆に社会的地位や物や金がどれだけ手に入った人でも、彼らは感情によって彼らにとっての過ちを犯して築きあげてきたものを失う。
だったら私たちはそんな彼らにとっての良いものを築き上げずに、私たちにとっての正しさをどこかで行う方がよっぽど自分らしい人生だと思うんです。

もちろん全員とは言えません。世の中には天才や聖人と呼ばれる人たちが確かに居て、それに習うのが良いとされます。でもそれに習って生きられる人達の中に、自分が含まれていると思うのはなんと傲慢な事だろうと思います。

今年の抱負として自分の感情や衝動を素直に行動に移すことを心がけてはいかがでしょうか?
抑圧されてきた私たちも、自己コントロール出来ているあなた達も、その狭間にいる君たちも。