雑記/教員にならないのに教職課程を履修している


「ちゃんとした大人になる」

これを目標に教職課程を履修している大学生、果たして全国にどれくらいいるんだろう。

教員採用試験は受けません。教員免許状は取ります。模擬授業もやります。教育実習にも行きます。でも、教職に就く予定は今のところありません。頑張って就職活動とやらを行なっています。

同じく教職課程を履修している友人にその話をしたときの最初の反応は端的に
「は?」
である。
彼女の弁は「お世辞にも楽とは言えないこんな履修課程を、将来に活かすわけでもないのに履修しているなんてあんた正気か?」でしたが、異なる立場の人間からは、また違った意味合いを持つ「は?」が飛んでくることだろう。

そこで今回は、わたしが一般就職を目指し、教職に就く予定がないのに教職課程(高校国語)を履修している理由をお話ししようと思います。


とは言っても答えは簡単。恩師の言葉です。

教職の初回ガイダンス。親に「高い学費払って行くんだから資格の一つは取っておいたら?」と言われ、まぁそれも妥当だな、と軽い気持ちで席に着きます。
そんな、まさかこの先かたく履修を決意するとも知らぬ呑気な私に、のちの恩師は言いました。


「先生になるということは子供の前に立ち、子供が大人になるための指導を行うということ」
「つまり、子供を大人にするきみたちは大人でいなければならない。だから、まずはきみたちが大人になるための指導を行います」

わたし思いました。
それが大人なら、わたし、それになりたい。

こどものときにつらかったこと、しんどかったこと、わかってもらいたかったこと、そういうのを救って、挫折を、その再起を。健やかな成長を、助けられるだけの力を持つのが大人なら、
わたし、それになりたい。
ちゃんとした、大人になりたい。


小5のとき、転校をきっかけにいじめられた。中3のときに同じクラスの友人がいじめられた。交通事故で部活の友人が亡くなった。高校生のときに勉強を歪として親と揉めた。揉めに揉めて何度も家出をした。家という環境そのものがストレスだった。大好きな部活にも迷惑をかけざるを得なくて申し訳なさを覚えていた。親の足音や帰宅音に怯えていた。私より遥かに悪い家庭環境下にいる友人がいた。毎日のようにSNSでそのつらさを吐露していた。

全部、そういうの、わかってほしいって思っていました。自分がつらいから、人のつらさもよくわかった。わかったなんて知ったようなこと言えないけれど、そのつらさを、誰にも言えず閉じ込める苦痛を、一緒じゃないけど少しだけ近いものを、私もよくよく知っていた。
だから、私のなかで。
わかってほしい、はわかりたいに、助けてほしい、は助けたいに変わっていた。

教職に就いてそのような生徒をサポートしたい、とは違う。私がこれから大学生活を、社会人生活を送る中で。大人として日々を過ごす中で。
目の前に困っている人、しんどい人、つらい人がいたとき、何もしない、何もできない大人でありたくない。

教職課程では、障害のことも学びます。いじめのことも、差別のことも、精神の不調のことも、ジェンダーのことも、家庭内不和のことも。
教室は社会の縮図なので。子供という身体的精神的に未発達な人間が見て学ぶ身近な大人は、親と、教員なので。身体的精神的に、あらゆる方向に未発達な人間を、助けられる知識が必要とされる。

わたし、それがほしいの。
教員になりたいんじゃない。
教員みたいな、人を助けられる知識と行動力を持った、ちゃんとした大人になりたい。
優しさは人を助けない。あの頃の私の周りに優しい人はたくさんいたし、友人に対しての私は群を抜いて優しかったけれど、優しい人は私を助けなかったし、優しい私は友人を助けられなかった。必要なのは知識と行動力。優しさは、それらを得るための、「助けたい」というエネルギーとしてしか機能しない。

そんなこんなで履修して、早くも三年目。

元々国語は好きです。自分の専攻でもあるので、授業をデザインするのは楽しい。教職つながりでできた友人はみんな愉快で、でもすっと倫理観が通っていて、頼りになるひとたちばかり。
そんな中でふと自分に聞きます。


「ちゃんとした大人、なれてる?」

なりつつある、かどうかはわからない。でも、今の自分の方がずっと好きだ。
深刻なメンタルの不調を抱えた後輩に、専門機関に頼るための一歩をサポートできた。「これは私が持っていない専門性を必要とする事案だ」って判断できる程度には、知識が身についた。
突然泣き出してしまった友人に、真っ先に駆け寄ることができるようになったんです。「おいで」って両腕をひらくんじゃなくて、自分からすぐにハグしに行く行動力を得た。

ずっとこういうことを続けていきたいなと思う。こうあれる人でありたい。
自分を助けるのは自分自身だとしても、その知識を授けるのが専門家だったとしても、その健やかな自立を得るための支えでいたい。それは職業としてではなく、私という人間の、人生の中で。

だから、「ちゃんとした大人であり続ける」という私の芯は、教員免許状をひとつの中間目標として、強くまっすぐに伸びてゆくのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?