全てに意味はあった。

今日はほぼノリでツイートしたこれについて。

 私は小説と出会い、それを志すまで10年ほどの歳月を要しました。
 つまり、間違い続けて来たわけですが決して無駄なんかじゃなかった。
 それを今回お話します。


 私が小説と面と向かって向き合ったのは小学校6年生のとき。
 きっかけは100冊読めば賞状が貰えるという外発的な動機でした。
 無論、国語の成績が良くない私からしたら、それまで向き合ったことのない物語を読むにはときに苦しといったところ。
 それでも続けられたのは2つ理由があって、1つはこれまで何かをひとりで成し遂げた実感のない自分への自信をつけること、もう1つは純粋に読んでいく物語が面白かったからもっと読みたいという感情ですかね。
 
 この当時の気持ちを大切にしたい。

 中学に入ると本からは遠ざかり、野球を始めます。理由は運動のうの字もない自分が観る側からする立場になって見えるものは何かを探すためです。後付ですが。
 三年間でレギュラーなど取れず、公式戦は僅か一打席のみ。
 する側は想像以上に大変なんだなということを思い知りました。
 
 それでもこのときの経験が礎となり、今の野球小説を書く気になっているんだと思えば決して無駄ではなかったと。

 高校に入って何を思ったか、勉強大嫌いの自分が自称進学校に。
 今考えても愚かだった。
 これからを生きる人に言いたい。

 小中の成績で、自分の性根と向き合わずに自分のレベルギリギリのところに行くと痛い目を見るぞ!

 が、自分が本当に言いたいのはこういうことではなく(確かに高校では学業関係は壊滅的だった)、部活動での経験の話。
 この頃はやはり小説からは遥かに遠ざかり、文系はあるのに文芸部はないし自分も文系ではなく、理系だった。
 だが中学までの学力貯金なるものはないに等しく、毎日が地獄。小テストに全力を注ぎ定期テストは捨てるの繰り返しだった。

 そんな高校生活で誇れるものはただ一つ。潰れかけた将棋部を立て直して基礎をつくり、後に後輩が全国出場する、ということだ。

 母校の将棋部が全国出場したということを知ったとき、私は既に大学生活を謳歌していたのだが、たいへん驚いた。

 まだ将棋部は消滅していなかった。

 自分が入ろうと決めたのは新歓での部活動紹介。そこでの将棋部の発表は地獄と化していた。
 まともだったのだ、終盤まで。
 最後に部員の謎の行動によって場が凍りつくまでは。

 「俺は将棋部で☓☓☓(以下聞き取り不能)!」
 
 奇声以外の何物でもない。そして叫びながらの謎の跳躍。
 これを見た瞬間に、私は思った。

 あ、これ将棋部終わったわ。

 当時二年生はおらず、三年生が数人いた程度で、新入部員がいなければ部活引退と同時に部員ゼロが確定し休部になる。

 自分は今は亡き祖父と将棋で対局したことが幼少期の頃からあり、やってみてもいいかなという気にはなっていました。

 それと、自分はこれまでトップを担う活動はしたことがなく、経験を積むという舞台はそこにありました。

 三年生が引退すれば自分が部長になれる。 
 これは儲けものだ。

 そう考えた自分はできて間もない友人を率い(1人)、部室に乗り込んだわけです。

 そこからは大変だった。
 三年生が引退して、待ちに待った部長の座を手にしたが、その大変さを身を以て知ることになりました。
 後輩ができ、彼らはかなりやんちゃで顧問には何度か怒られたこともあった。
 大会に出てもそんなに甘くはなかったし、団体戦は2勝したけど部長=大将として出た自分は全敗した。

 結果は残せなかった自分だったけれど部を後輩に引き継ぎ、数年後全国に。
 自分がこの部活に入ってなければ全国に出場するほどの部活にはなっていないのでは。
なんて考えると無意味ではなかったと思えるかな。
 部長をやった経験は、その後のAssistanceやわらこみゅの運営に活かされていると思います。

 やった経験のあるなしでは随分心の持ちようが違う。上手くいかないことがあれば今でも当時を思い出すようにしています。

 結果残せずとも、無意味に見えることでも、ちゃんと意味はある。
 私はそう思います。

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